穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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報道は熱し ―明治の重大事件二種―

 

 にわかに帝都を聳動せしめた白昼の異変。明治三十五年十二月十日、田中正造天皇陛下に直訴の件を、翌日の『読売新聞』報じて曰く、

 


 天に訴へ地に訴へ社会に訴へ議会に訴へ法廷に訴へ請願となり陳情となり演説となり奔走となり運動となり大挙となり拘引となり被告となり絶呼となり慟哭となり流血となり千訴萬頼慟天哭地して而も猶其目的を達する能はざる、足尾銅毒被害民を救はんが為め財産を棄て名を捨て朋友を棄て政党を棄て終には己を棄てゝ一身を鉱毒事件の犠牲に供し居たる田中正造は遂に昨日、 畏多くも議院より還幸の御通路に拝跪して輦下に直訴するの非常手段を執るに至れり


 名文だった。


 やれることは全部やった、なにもかもを出し尽くし、人間の残骸、搾りカスと化してなお諦めきれない田中正造の頑固というか執念が、まるで歌劇仕立てのように音楽性の心地よさすら伴って自然と流れ込んでくる。


 そうだ、そうそう、血を吐くような苦闘の歴史あってこそ。


 それでやっと「直訴」という非常行為に対しても情状酌量の余地が生まれる。


 どこぞの泡沫政党の代表みたく、大した思慮も伴わぬまま、軽々に踏み切っていい行為では断じてない。そういうことを思わせてくれる、繰り返すが名文である。

 

 

Tanaka Shōzō in 1901

Wikipediaより、直訴当時の田中正造

 


 資料を山と掻き集め、俯瞰の視点を構築し、丹念に文章を織り成せる伝記作家ならいざ知らず。新聞記者が、彼にとっても寝耳に水の事態を受けて、たちどころにこれだけの説得力を附与できるのは尋常一様の業でない。


 当時の『読売新聞』は、実に優れた才幹を抱えていたということだ。


 そこをいくと同日付の国民新聞の報道は、

 


 天皇陛下には十日貴族院に臨御開院式御挙行の後還幸仰出されたるは午前十一時四十分の頃にして(中略)群集せる拝観人のうち数年来彼の鉱毒事件の為め心身を委ねて救済方に尽力し遂に初期以来継続せし代議士を辞して狂奔中なりし田中正造翁あり、鳳輦貴族院角を曲らせ給ふを拝して両院議長官舎の中程より物狂はしげに走り出て「上」と記せる一封の直訴状と見ゆるものを捧げて鳳輦に近づきまつらんとせしを御道筋警衛の巡査高木八五郎、尾川彦次郎両氏に取押へられ直に虎の門派出所に引致されしが浪立ちたる群衆は再び静粛に復し 鹵簿は御恙なく通御あらせられたり

 


 味も素っ気もない的な、ただ事実を事実のままに切り取り貼り付け載っけたような、のっぺりとした印象のものになっている。


 まあもっとも、『読売』が田中に肩入れしすぎ、湿度を高く設定しすぎと指摘されれば抗弁の仕様がないのだが。


 ところがこの『国民』が、田中正造に対しては乾いた瞳で以って臨んだ新聞が、こと八甲田山雪中行軍遭難事件を受けるや否やたちまち情緒纏綿し、猛然と筆を動かしたのはいったいどういうことなのだろう。

 

 

 


 明治三十五年二月五日の同紙に曰く、

 


 夫れ今回の椿事たる、之れを天災地変と同様に、全く不問に附し去るべきものなるや、軍隊の凍死は不可抗的勢力の為めに強圧せられ、遂に如何とも為し難かりしものと見るべきものなりや。若し果して然りとなさば、彼等の死や軍国に殉じ、職責の為めに斃れたるものにして、国民は其の忠勇心を称賛するの外に辞なかるべきなり。然りと雖も、今回の行軍たる其名の如く雪中行軍なり、(中略)目的既に此に在りとせば、天候の変化、暴風の襲来、道路の険悪等は素より算中に措きたるなるべし。

 


 防げた事故か、さにあらざるか。天災なりや人災なりや、両者の複合であるならば、その比率は如何ほどか。


 あらゆる可能性を捨てることなく事態を闡明すべきだと、そういうことを言っている。

 


 問題は斯くの如き予想に対して、充分なる被服を整へ、食糧を携へ、其の設備に於て欠くる所なかりしや否やに存す、是れ最も究めざる可からざる要件なり、若し夫れ軍隊が予期せざる風雪に遭遇したる時に方り指揮官の措置果して、其宜しきを得たりや否やといふが如き、亦た明らかにせざる可からざる必要あると見る

 


 着眼点も実に鋭利で、的確だ。

 

 

(昭和初期、八甲田山スキー場)

 


 若し夫れ、今回の出来事が、余りに悲惨なるが為めに、一切を悲惨の二字に包み、其の惨死の結果を見て、其の原因如何を閑却するが如きは、吾人の大いに取らざる所なり。夫れ一名の死と雖も、素より惜しむべし、況んや二百名に於てをや、況んや亦精鋭なる帝国軍人に於てをや。若し二百名の将卒を犠牲にするの覚悟あらば、以て一城を堵ふるに値し、一中隊全滅の覚悟あらば、以て劇戦を戦ふるに足る、吾人は忠勇なる我が帝国軍人二百の命が、決して理由なく失はれたるに非ざる事実上の證明が当局者によりて与へらるべきを信じて疑はざるなり。

 


 最後の方など想いがあまりに募りすぎ、勢い活字に収まりきらず、行間に溢出したの観がある。


 当時の『国民新聞』は、徳富蘇峰が梶を握っていたはずだ。

 

 あるいは蘇峰みずからが綴った文章ではないか。それほど力の、熱の入れようが違う。

 

 

Soho Tokutomi 1 cropped

Wikipediaより、徳富蘇峰

 


 ――以上、とある心理学者がその著書で、田中正造偏執病パラノイアの疑惑リストに突っ込んでいるのを発見し、大いに驚き、ショックの解消法として「壺」の中身を掻き探し、ついあれこれと対照してみる気になった。

 

 それだけのことで、他意はない。

 

 

 

 

 


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