猿に読ませる目的で書かれた文を読んでいる。
福澤諭吉の文である。
尾崎行雄咢堂は、その青年期のある一点で、「筆で生きる」と心に決めた。
そのことを福澤に報告にゆくと、折しも福澤は鼻毛を抜いている最中で、鼻毛抜きを手放しもせず聞きながら、「変な目付きをして、ななめに予が顔をながめ」、
――おミェーさんは、誰に読ませるつもりで、著述なんかするのか。
不作法千万に訊ねたという。
(……恩師とはいえ)
その態度はあんまりだろうと、尾崎は怒気を催した。
が、自制心を総動員して抑え込み、返した答えが、
「大方の識者に見せるため」
襟を正して背筋を伸ばし、若者らしい潔癖さを籠め表明したものだった。
すると福澤は、
「馬鹿野郎!」
とまず一喝し、
「猿に見せるつもりで書け。俺などはいつも猿に見せるつもりで書いてるが、世の中はそれで丁度いいのだ」
叱責だか訓戒だか、よくわからないことを喋った。
冒頭の二行は、割かし有名なこのエピソードに由っている。ちなみに咢堂本人は、遠く昭和になってから改めてこれを追想し、
何が何だか分からなかったが、兎に角その態度や、言葉遣ひが、気に入らなかったから、その後は、なるだけ先生を訪問しないやうにした。これは、予が若気の至り、無思慮の致す所で、今日よりこれを思へば、実用的著述の極意を示されたもののやうにも思はれる。(『咢堂漫談』128頁)
畏敬の念を深くしている。
とまれ、猿にも理解可能なようにと配慮の上で書き綴られただけあって、福澤の文章は簡潔明瞭、わかりやすく面白い。明治後期の著述であるのに、昭和初頭に
そういう次第だ。
しばしの間、お付き合いいただければ幸いである。
〇此度の勝利は紛れもなき文明開進の賜にして、彼の精神一到何事か成らざらんと云ひ、精神一度び定まれば武器の如きは論ずるに足らずと云ひ、思ふ心は岩をも通すなど云へる漠然たる古人の思想、即ち愛国の短気癇癪とも名く可き数理外の力のみを以て成功したるものに非ず。
日清戦争の大勝を受けて。
福澤にとっては精神力も状況を構成する種々の要素のひとつであって、他に優越する絶対性など欠片も認めていなかったのだ。
そのことは、
〇凡そ人事を処するに、時の遅速と数の多少と物の強弱と、此の三者を計りて之を数学上に加除し整理して、以て実効を収るもの、之を文明開化の事と云ふ。
文明開化の正体を闡明した、この一文を覗いてみても明らかだろう。
(福澤の原稿)
〇今日の世界は道理の世界に非ず、殊に国と国との交際には、道理の勢力最も薄弱にして、少しく重大なる問題は
〇文明競争の世界に立るものは常に戦争中の覚悟を以て自ら居り、其幸にして無事なるは唯是れ一時の休戦として視る可きのみ。今日の無事は以て明日の安心を證するに足らざるなり。去れば所謂無事平和の時に於ても軍備の不完全は如何にも危険の至りにして、其状恰も厳冬将さに来らんとして
〇支那の先哲は春秋に義戦なしとて嘆息したけれども、義戦なきは豈唯春秋の時代のみならんや。世界古今に通じてあらゆる戦争を
この徹底的な現実主義がたまらない。
肌に粟粒を生ずるが如き心地のよさだ。
斯くの如き福澤に養育されたればこそ、小泉信三は第一次世界大戦勃発当時、大英帝国に身を置きながら、彼の地に吹き荒れる凄まじい反独プロパガンダにあくまで乗らず、
――ベルギーの中立が侵されようが、侵されまいがフランスが開戦する以上イギリスは必ず共に立たねばならない地位にいたのである。
――ベルギーの中立尊重は口実に過ぎぬ。仮に戦略の必要上フランス軍が先ずベルギーに侵入した場合にグレーは必ずグラッドストンの言葉を引いて傍観したに相違ない(グラッドストンの演説中にはベルギーの中立は絶対的のものではないという意味の章句があるのである)
こういう時勢を透見しきった、切れ味のよすぎる観察を呈することができたのだろう。
小泉信三、尾崎咢堂、武藤山治、高橋誠一郎、波多野承五郎、石山賢吉――慶應義塾出身者の本はずいぶん読んだが。源流はやはり、福澤に在りだ。
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