古書を渉猟していると、数字の羅列によく出逢う。
遭遇して当然だ。自論に箔を付けるため、正当性を押し出すために数の威力を借りるのは、
例の抜き書く癖により、気付けば随分その種のデータが手元に積み上げられていた。
(製本作業中…)
筆者個人の独断と偏見に基いて、特に印象深いのを幾つか抽出するのなら、例えばこれなどどうだろう。
ロンドンに於いて一歳中に消費する食料の統計左の如し。
〇魚類 四千億
〇牡蠣 五千億個
〇蟹 六千万個
〇牡牛 四十万頭
〇羊 百九十万頭
〇豚 二十五万頭
明治の黎明、村田文夫が世に著した『西洋見聞録』中に載っけてあったモノである。
他は措いておくとして、二番目牡蠣の五千億個は凄すぎる。初見の際は我が眼を疑い、次いで誤植を疑って、今なお半ば信じかねているほどだ。
いやサ、まったく、大した飽食ぶりじゃあないか、紳士ども。
インパクトは十二分。永い鎖国で惚けきった日本人の両眼に、「世界規模」とはいったいどんなスケールか、知らしめるには相当効果があったろう。
次はこれ、
〇餅 五十貫
〇砂糖 八貫目
〇小豆 三斗五升
〇片栗粉 二十本
明治四十二年一月、講道館にて執り行われた鏡開きの式により、消費されたブツである。
品目名を一瞥すれば、何のために使ったか、おおよそ察しはつくだろう。
汁粉をこしらえたのである。
鏡開きの当日も、講道館では常の通り日の出前、午前四時からエイヤの気合い勇ましく、門下生らが寒稽古に精を出し。三百人の若々しい肉体を散々弾ませきってから、漸く午前十時より、鏡開きの式を
エネルギーは枯渇寸前、空腹に甘味が滲みたろう。
皆、
「うめえ、うめえ」
と笑み崩れつつ掻っ込んだに違いない。
少ない奴でも五六杯、多い方では十二三杯をペロリとたいらげ腹八分目と澄まし込む、「豪の者」まで居たそうな。
たまらぬ男どもだった。
(『ゆうえんち -バキ外伝-』より)
さて次は、
〇大根 三万本
〇牛蒡 五万七千本
〇豆腐 十三万四千丁
〇味噌 千貫目
〇醤油 六百石
〇白米 四百二十石
性懲りもなく食い物である。
まあ、それはいい。そんなことはどうでもいい。
今、大事なのは数字こそ。こいつは明治四十四年、親鸞聖人六百五十回大遠忌法要の期間中、京都東本願寺にて調理された糧である。
(名古屋大根)
お
献立の詳細、以下の如し。
本膳
二の膳 干瓢、麩、吸物、海苔
三の膳 饅頭三個、蜜柑二個、蘇甘二個、菊形薄煎餅五枚
これに銀シャリが二合半入りの塗椀に、希望とあらば山盛りにして出してくれたそうだから、精進料理とはいえ、貧相ではない。貧相どころか、結構千万、なかなか見事な御馳走攻めといっていい。
しぜん、台所の喧騒たるや物凄く、ほとんど戦場顔負けだったと伝え聞く。
当時の記述をそのまま引けば、「炊事場には四百余人の男女が午前二時より夕刻まで手も休めず、一斗入の平釜十個にて飯を焚き、菜を煮るには一石入の大鍋六枚、一斗入の鍋五十枚を使用し居れる」云々と、こんな有り様だったから、天手古舞もいいところ、エンジン全開、焼け付く寸前ギリギリを攻めっぱなしも同然だったことだろう。
娯楽の乏しい時代にあっては、宗教がそれを肩代わりする。
(viprpg『ライチエクスチェンジ』より)
そういう事情を勘案しても、一向宗のエネルギーは旺盛だ。戦国時代、あれほど猖獗を極めたのも偶然でない。ある種、妙な納得が、この数値からは湧いてくる。
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