鹿児島弁は複雑怪奇。薩摩に一歩入るなり、周囲を飛び交う言葉の意味がなんだかさっぱりわからなくなる。これは何も本州人のみならず、同じ九州圏内に属する者とて等しく味わう衝撃らしい。
京都帝国大学で文学博士の学位を授かり、地理にまつわる数多の著書を執筆もした、いわばこの道
斯様に特殊な鹿児島弁を素材に含む詩歌の類が、だいぶ溜まった。
例によって例の如く、一挙に紹介したいと思う。
しばしの間、お付き合いいただければありがたい。
白歯そむれば、飛ばならぬ
おけさ働け
殿じょ持たせる、よかニセを
歌の数々一万五千
恋のまじらぬ歌もなか
とはいえ、いきなり暗号めいた代物をぶつけるのもどうであろう。
最初はなるたけ癖の小さい、解説不要で意味の通ずる都々逸三首を撰んでみた。
いわじ時節をまつがよい
腹が立つときゃ茶碗で酒を
飲んでしばらく寝るがよい
議を言うな、理屈を捏ねるな、薄みっともない。それでも男か、慎みを持て。――「恥」に関する精神風土をよく顕した二首である。
なんぎすんなら、ともなんぎ
苦労しゃんすな、わずかなしゃばで
好いたことならするがよい
いよいよ
ここから更に濃度を上げる。
さむれもよけっ
通っつろ
いね売いと
半んぱけんかで
値切っちょる
稲売りを題材にした歌らしい。
「さむれ」とは「侍」のことを指すのだろうか。だとすれば大層な意気である。
水はけの良すぎるシラス台地が大半を占める薩摩では、長年米作りが不振であった。
なればこそ、不利な条件をかいくぐり、辛うじて収穫された稲穂には、冴え冴えとした日本刀の輝きをも上回る、抜群の威光が宿ったのか。よくわからない。まあ、百姓の鼻息の荒さは江戸時代、どこもかしこも同様だったが。
千べ飲めうが
までわかせ
下戸の建てたる
蔵はない
酒席で好んで歌われたとか。
「までわかせ」が不明だが、大体の雰囲気は察せよう。
凡そ薩摩程多く酒を飲む国はなし、彼地にては家々毎夜「おだいやめ」と称へ晩酌を為す、家族も皆主人の相手として一二盃を傾く、随て婦人小児にても相応に酒を飲むもの多し
と、『薩摩見聞記』に記された通り、薩人の酒好きは有名である。
胃の腑の底が爛れきってぶち抜けるまで呑みまくると専らの噂だ。
年中ゅ亭主ん
焼酎ン代
おかべと焼酎で
うたわせッ
涼ン台
焼酎臭せ婆イ
腰す上げッ
ちょっしもた
カカがやイでた
焼酎なんこ
酒にまつわる方言歌の多さをみても、まんざら評判倒れでないらしいのが窺える。
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