大日本帝国の軍人たちは、実にこまめに日記をつけた。
明日をも知れぬ最前線にあってさえ、日々の記録を紙上に残す重要性が理解され、将校・士官のみならず、兵に至るまで
精神教育の効果を期待し、大っぴらに推奨した部隊というのも存在している。越中・飛騨の健児を
彼らは云う、「一人でも二人でも部下を持つ者は努めて日記を記す事を必要とす。そして自己の死傷に於ても尊い部下の働きを無にせぬ様にする心掛けが肝要だ」と。
その心掛けの甲斐あって、このような本が綴られもする。
昭和十年発行、『江南の戦』。
第一次上海事変に出征した歩兵第三十五聯隊の苦闘の結晶。非売品。凱旋した将士の手記を数多く素材に含むだけあって、その内容は圧倒的な生々しさを伴いながら読み手に迫り、ときに体温や息遣いを錯覚するほどである。
あとがきに於いて編纂主任が、
今まで世間的に知られてゐる事柄は戦闘間の事丈けが主で、戦闘を中心にして其前後百余日間は如何なる動きをしてゐたか、と云ふ点は知られてゐない。
「戦争の前後はこんな状態の生活をしてゐた」といふ積りで陣中生活を書いておいた。之が本書が今迄流布してゐる本と特に異なる点だと自らも思ふ。
斯様に述べた目的は、十分に達成されたといってよかろう。
以下、特に印象に残った部分をいくつか抜粋させていただく。
南支方面は満蒙方面と其趣を異にし対支那関係のみならず世界列強との関係頗る大なるものあり、故に大局に着眼して行動し軽挙妄動を戒め軍紀風紀を厳正し以て其動静を律せざるべからず。而して一度立つや列強環視の裡に於て皇軍の威烈を中外に顕揚すると共に、中外人をして心服せざるべからず云々。
動員令より数日後、分列式にて、聯隊長訓示。
贅言を省き要点を抑え、全体的によく引き締まった名文である。緊張しきった脳細胞に叩き込むには、こうであってこそ望ましい。
(Wikipediaより、歩兵第三十五連隊営門前)
突入されると死んだ振りして屍の中に隠れて居て油断を見すましてポンと撃つ敵がある「クリーク」中へ全く没して口丈け出して居る愛嬌者も居る。こんな奴は適当に処理せぬとこちらが偉い目に会ふ。日本兵では誰一人気の付かぬ事を今日は支那兵巧みにやり居った。
笑止千万な支那軍の夜襲。
日本陣地の前まで来て喇叭を吹き、悲鳴を挙げ(悲しい様に聞へる)自ら射撃をして戦場を騒す。せいぜい陣地前五十米より近づくことはない、だから安心して撃退が出来る理だ。殪れて居る奴も銃に着剣して居ないのが大部分とは一寸解せないではないか。
聞けば支那軍の夜襲は日本軍をやっつける為めでは無く恩賞金を徴達する手段とは益々笑止な話だ。即ち弾丸を射ち音聲を発して今夜襲して居るぞと言ふ事を後方の者に知らしめ後で夜襲料を頂戴する由――滑稽々々。
異なる文化の衝突模様、飛び散る火花が幻視されるようではないか。
…部落に入ってみると全部掠奪を受け実に惨憺たる様を残してゐる、其処には女の死体さへ横はってゐるではないか。此の世に鬼畜に類するものありとすれば実に支那兵である彼等こそ此の世の悪魔だ、悪魔以外の何ものでもあり得ない。
家屋内を隈なく捜索すると逃げ遅れた奴が命欲しさに藁の中にもぐり込んでゐる、引張り出して見ると全くの丸腰だのに懐中には掠奪した計りの金を一杯詰込んでゐる。地獄の沙汰も金次第位に思ってゐるのだらう。こういふ者には地獄の沙汰も金次第であるかどうかを体験させてやるのも必要だ。
支那の兵隊は敗北して散り散りになると、逃げた先で直ちに匪賊に早変わりする。
もはや伝統、様式美の一種ですらある。何もおかしな点はない。
(敵の機関銃陣地)
…南翔では昨夜第五十九聯隊(宇都宮)の下士哨へ便衣兵が襲撃したそうな、支那の常套手段たる不信行為は何時何処で発現するかも知れぬ、停戦と同時に我が歩哨は衛戌勤務令の規定により動作することにはなったが危険が多い、陣中勤務と合の子だ。呉淞附近で昨夜我が電線を切られた所もある。
五月六日の記述。
この前日、日本軍の撤退および中国軍の駐兵制限区域を定めた上海停戦協定が成立している。
便衣兵を見てから総ての支那人が憎しくなった。そして自分が負傷してからは凡ゆる「チャンコロ」を叩斬ってやりたい気持がした。
荒んでゆく人間性。
ゲリラ戦に晒された正規兵の精神は、加速度的に削られざるを得ないのだ。
ベトナムでもアフガンでも同様の構図が繰り返された。
きっとこれからもそうだろう。
(Wikipediaより、上海へ迫る第十九路軍)
戦場に於て最初の死傷者の出したる時は言ふに言はれざる悲惨なる感に打たるゝものなり、殊に不意に遭遇したる時に於て然り、故に戦場は斯くの如き悲惨なるものなりとの観念を深刻に平時より教育し置き事に臨んで自若として任務を遂行し得しむるを要す。
其場を通過せば其れ以上の悲惨なるものを左程に感ぜざるものなり。
戦場に於て一番恐怖感を感ずるのは敵砲弾に非ず飛行機爆撃にも非ず死傷にも非ず只本隊や或は指揮官との連絡の絶へた時である。
戦場心理の把握に際して貴重な資料といっていい。
特に後者は、斬首戦術の有効性をそのまま物語ってもいるだろう。
素より軍人は戦をやるのは当然で、戦をすれば戦死者も出来るのは当然であるが、夫れは単に理屈である。歓呼の聲に送られて富山駅頭を出発した者で約一割の人は上海戦場の露と消えた。又再び其勇姿を見ることの出来ぬと思ふと共に其遺族の心事をも考ふる時隊長たりし責任上悲哀の情を禁じ得ない。国家の為めに倒れたる名誉之は永久不滅である。其英霊は護国の神であると思ひ直して漸く気を取り直すことができる。
徳野外次郎陸軍少将の弁。
上に立つ者の心境として、これ以上は到底望めないものだ。
(Wikipediaより、江灣鎭總攻撃)
「敵襲」と言ふ言葉より「食事してはならぬ」と云ふ方が我等に取ってどんなに辛いか分からぬ。
武藤山治の演説に、
――職工諸氏の最も希望し、最も喜ぶのは「食べ物の美味い」といふ事であります。
との一節がある。
この鐘紡総裁は自社を経営するにあたって、諸事軍隊式で臨んだとも。
蓋し慧眼。
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