穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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真渓涙骨私的撰集 ―「千樹桃花千樹柳」―


 涙骨の本は二冊ばかり持っている。


 昭和七年『人生目録』と昭和十六年『凡人調』がすなわちそれ・・だ。

 

 

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 見ての通り、『人生目録』には函がない。


 裸本で売りに出されていた。


 まあその分、安価に買えたことを思えば文句の言えた義理ではないが。


 構成はどちらも似通った、短文の連続になっている。

 

 

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 まず大抵は一・二行、長くとも五行程度に区切られた警句あるいは箴言――さもなければうたにも似た言の葉が延々と続く。


 真渓涙骨、本名正遵しょうじゅん


 明治三十年以来、こんにちまで脈を引く宗教専門新聞紙・中外日報創刊者である。


 若かりし日に、子供を亡くした。


「幸子」と名付けた、まだ一歳の娘であった。


 野辺送りを済ませ、遺骨を抱いて家へと帰る道すがら、その燃え残りの小ささに涙が零れて仕方なかった。


「涙骨」の號の誕生は、この経験に拠っている。


 そういう男だ。


 そういう男が、具体的にどういうことを言ったのか。


 それをちょっと紹介させてもらうとしよう。


 狭間の地があまりに魅力的に過ぎたため、エルデンリングを掲げんがため躍起になりすぎたが故に。気付けば文章の書き方を忘れかけていた私自身の、ある種リハビリ目的でもある。どうかお付き合い願いたい。

 

 

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(狭間の地。見渡す限りどこへでも行ける)

 

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(嬉しいことに、これが恫喝でもなんでもないのだ)

 


〇人は変なことに感心する。一生孤独を貫いたとて感心する、借金が過分以上にあったとて感心する。感心することを一つの美徳として感心する。


〇目下「男」を磨くのに之れ勉めてはゐるが、未だ「男」を売るに至らず、或は一生、磨きの修行に終るかもしれない。


〇本人が選んだ恋人は親から見れば「虫」であり、親の選んだ配偶者の多くは「人形」とされる。


〇恋は人を凡化する。恋の燈火には偉い人ほど馬鹿に見える


〇一年の光陰は矢よりも早く、停電の五分は日よりも長い。長短は心一つ。


〇自粛自戒、そんな風は何処を吹いてゐるか、常に自分を外にして他の放縦を鳴らす者のみが叫ぶ掛け声だ、寧ろ不粛不戒に拍車をかける結果を見る。

 

 

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西本願寺

 


〇親切、度を過ぐればある要求と解され、少しく冷淡なれば忽ち怨嗟の聲あり。


〇雨があがれば借りた傘が第一の邪魔物となる、災厄を脱すれば救はれた恩人が第一の遮害物となる。


〇人は刹那の恵みに感激するもの多く、長い恩愛は却って怨まれる。


〇一人が公的に失脚せんとすると、是までその部下でサンザ私腹を肥やしたものが第一に罵倒をはじめる。

 


 このあたり、ホッブズの影響でも受けたのかと勘繰りたくなる。


「対等だと思っていた相手から、報いることができそうもないほど多大の恩恵を施されると、相手に対する気持ちは往々にしてうわべだけの好意に変わる。いやそれどころか、実際には秘めた憎悪に変わることもある。恩恵を受けた側は、絶望した債務者と同様の立場に追い込まれる。『リヴァイアサン』のこの一節が、どうしても脳裏に浮かぶのだ。

 

 

 


〇人と対話する時、半は彼に語り、半は自分に語ってゐる。

 


 自分で自分の言葉に触発されてひたすら興奮を募らせるやつ、よくある。


 口を開く前には片鱗も考えてなかったことを気付けば喋り散らしていた、そんな経験、誰もが一度はあるんじゃないか。


 そうやって自制の大切さを学んでゆくのだ。

 


〇野心を愛す、野心なきものは死人のみ。


〇満たされたる心には恐怖が湧く、満足は悔恨の始めだ。

 


「満ち足りることに屈するな」

 


〇放蕩児歎じて曰く「私でも生きねばならぬ」と、否、そんなことはない、遠慮なく死んで行くを可とす。

 


 ひでえ。


 しかしながらそのひどさの底に痛快がある、雅趣がある。


 他者を罵倒してなお品格を失わぬ、一流の人格者のみに許されたる特権だ。

 

 

〇「橋」がなければ対岸は永遠に対岸である。橋は両岸を「一」に結ぶ。

 


 デスストランディングを彷彿とする。


 アメリカ大陸を再び繋ぎ合わせた男、サム・ポーター・ブリッジズの後ろ姿を。

 

 

 


〇火は灰を生み、灰は火を活かす。神は火なり、人間は灰なり。

 


 これはもう、ダークソウル以外のなにものでもない。


 この文面から火と闇の神話を想起せぬなら、それこそ真っ赤ないつわりだ。

 

 

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〇「人間たるものが」と自ら向上を誇り「人間だもの」と自ら堕落を弁ずる。


〇「人間だもの」と一句飛ばせば、少々の脱線沙汰は「成程ナ」と許容される、若し「生仏だもの」とやって見よ、仏は忽ち赤くなって憤る。それほど人間テものは有難いものだ。


〇他人の上を裁く時は「鬼畜」と罵り、自分に同じ場合があっても「人間だもの」で済まさんとする、人間と鬼畜、唯だ一歩の正脱あるのみ、即ち頭の芯一つの問題なり。

 


 そういえば相田みつをの哲学も仏教の流れを汲むものだったか。


「人間だもの」。仏の道では昔から、ごくありふれたフレーズだったのやも知れぬ。

 


〇罪から罪への綱渡り、それが人間の歴史だ、ひっきやう恥なくしては生きられぬ人生でもある。

 


「恥の多い生涯を送って来ました」。


 それがどうした、人間だもの、結構至極じゃあないか。


 うろおぼえだがニーアにも――最近アニメ化の発表された『オートマタ』の方――似たようなセリフがあったと思う。

 

 

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〇千樹桃花千樹柳、半渓流水半渓畑、春光詩人の肩を叩く日の待たるゝかな。

 


 甲府盆地が花の湖水と化す日は近い。

 

 

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