イギリスは、誰から見てもイギリスらしい。
前回にて示した如く、びっくりするほど多いのだ。十九世紀中盤に彼の地を歩いたエマーソンの見解と、二十世紀初頭にかけて訪英した日本人の旅行記に、符合する部分が凄いほど――。
たとえばエマーソンの時代、こういうことがあったという。
軍艦建造税の訴訟に於て判官は、これを法律に適へるものとして論じ、「英国はもと島国なるが故、その中部諸州と雖も、皆悉く海岸である」と喝破した。
シーパワー国家・イギリスらしさがこれでもかと躍如としている逸話であろう。
(イギリス、中部平原地方)
裁判官が国益をきちんと念頭に置いてくれている国家、なんと素晴らしい。思わず羨望を禁じ得ないが、まあそれはいい。
さて、お次は大日本帝国海軍少将・湊慶譲にお出まし願おう。昭和四年、湊が未だ大尉の身であった時分に物した文だ。
海軍は英帝国の存立に必要欠くべからざるものであるといふことは、すべてのイギリス人の信条である。或るイギリス人は引力の法則と同程度の真理として、これを受容れるといったが、まことに海上権に対するかれ等の信念は、先天的であるとさへ思はれる。
数十年を経てもなお、イギリス人の国民性は些かもブレていなかった。
「我等は祖先に存するあらゆる心意的、道徳的特性を、悉くその子孫に於て見出すことを期待する」。やはりエマーソンの言葉である。いかにも然りだ、この期待が叶ったとき、私の心は安堵の成分強く混ざった快感により満たされる。
花粉症の苦しみ――涙と洟に溺れそうになりながら、ついに最後のページまで興味を絶やさず読み切れたのは、この快感が与って力あったろう。わが持続力を支えてくれた、げにありがたき記述の数々。そこのところを今回は、列挙して紹介してみたく思う。
(ニューカッスルの造船所)
〇英人が賞讃の形容詞を加へようとする時、その最高のものは「かく迄も英国的である」といふ言葉である。して、彼が諸国に最も丁寧な御世辞をつかふとする時「貴君は英国人と区別がつきません」と言ふ。
〇英国の一婦人はライン河の船中でドイツ人が彼女の一行を外国人と言ってゐるのを聞くや、「否我々は外国人ではない、英国人である。外国人とはお前達のことである」と叫んだといふ。
自分たちを宇宙の中心に据えて憚らない尊大、驕慢。
流石としかいいようがない。稲原勝治が描いたところの英国気質そのままだ。
(チェスの婦人選手権)
〇英国を計る真の尺度は英国が育てた人物である。英国は五百年間、他国に比して一層有為の人才を輩出せしめた。して、我々は天意を玩び、十人の偉人を出すことゝ一万の小人物を出すことゝの優劣などを論ずべきではないけれども、歴史的に収支の勘定をすると、一人のアルフレッド大王、一人のシェイクスピア、一人のミルトン、一人のシドニー、一人のローリー、一人のウェリントンを有することが、百万の馬鹿な民主党員を有するに優るやうに思はれる。
なかなか堂に入った英雄崇拝、カーライルと意気投合するだけはある。
〇ベーコンは云ふ「ローマは
何故この国の外交官がいつもいつも複数枚の舌を有すか。
おのずから察しがつくだろう。
(エマーソンの書斎)
〇祈祷が寺院の儀式であるやうに、礼儀は社会の儀式である。また作法は国民の教育者であり、それを育てた時代に対する優しい祝福である。
〇礼節を守ることはシャツを清潔にすると共に欠くべからざることである。如何なる美点も礼節の欠乏を償ふことはできぬ。もし之さへあれば、時としては他のあらゆる欠点を補ふことはあるけれども。
心の底から同意したい。
数多存在するエマーソンの金言中でも、これは白眉であるだろう。
無礼者は嫌いだ。大嫌いだ。
存在自体が不協和音だとさえ思う。
直接に侮辱されたわけでなくとも、ただもう近くに居るだけで、内臓が腐ってゆくような、厭な気分にさせられる。
「話をかわすにあたって敬意をもって臨み、面前に出るにあたって謙虚な、節度ある態度を保つならば、相手を持ち上げることになる。それは、相手に不愉快な思いをさせることを恐れているという気持ちを表明しているからである。話かける態度が軽率であったり、相手の面前で事をおこなうにあたって、ぶしつけで投げやりな、厚かましい態度をとったりするなら、それは相手を貶めることになる」。
ホッブズもまた、礼節をまっとうする重要性を実利的・合理的方面から解説していた。
先哲の言葉が少しでも広く浸透するのを望むばかりだ。
(ボーイスカウトの敬礼)
〇英国の貴族は自分の名を以てその土地に命名することなく、その土地の名を以て自分の名とする。恰も人は彼を生育した土地を代表するものであるかのやうに。
〇英国の一市或は一州を代表する名を付けられてゐるものは、敏感な人であれば、その名を呼ばれる度毎に、責務或は名誉に対する挑戦の聲を聞かざるを得ないのである。
〇貴族の特色はその田園生活を偏愛することである。彼等は
〇ミラボーは一七八四年に英国から預言的な手紙を寄せて、「予は貴族社会のことを想ふと戦慄する。万一革命が仏国に於て爆発するならば、彼等の城館は灰燼に帰し、彼等の血は急流のやうに迸り出づるであらう。けれども、英国の小作人は、これに反し、最後までその領主を擁護するであらう」と言った。英国の貴族は尊厳のために彼等の所領地に行き、仏国の貴族は宮廷に生活し、経済の都合で、追放された心持になりその所領地に行く。
(ハロウ校の生徒たち)
「英国のみが世界に於て、真実の貴族を持ってゐた。古代ギリシャ以来、貴族らしい貴族は、英国だけに生れた」――鶴見祐輔が自著の中で絶賛したのも納得である。
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