穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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抜錨まで ―黒船来航前夜譚―


 それは到底、見込みのない挑戦だと思われた。


 マシュー・ペリーを司令に置いた艦隊編成の目的が「日本遠航」にあるのだとひとたび公にされるや否や、各新聞社は「すわ特ダネぞ」とこぞってこれを書き立てた。


 主に悲観的なニュアンスで、だ。

 

 

フリーゲーム『ミッドナイトシンドローム』より)

 


 ボルチモアの地方紙は「日本を開国せしめ得ると信ずるは、徒に内外の笑ひを買ふに過ぎず」と口を極めて警告し、ロンドン・タイムズに至っては、「これ巧妙なる軽業師をして、風船に乗じて、遊星に旅行せしむる如し」と、実に英国人らしい、短いながらも切れ味抜群、寸鉄人を刺すような、苛烈な皮肉を以ってした。


 当時の西洋社会に於いて、「日本」という島国がどんなイメージで視られていたか、如実に示すものだろう。

 

 鎖国の結び目は固い。容易に開けられそうにない。


 ペリーとて、むろんそこは承知の上だ。

 

 

Commodore Matthew Calbraith Perry

Wikipediaより、マシュー・ペリー

 


 彼は自分に課せられた任務の誇る難易度を、極めて正確に理解していた。だからこそ、まだ陸の上に在るうちに、あらゆる準備を怠らなかった。


 良き猟師ほど狙う獲物の生態を獲物以上に知悉し抜いているように。――マシュー・ペリーは日本について得られる限りの情報を、その脳髄に刻み込むべく努力した。


 具体的には、古書を漁った。このころ日本に関する資料を最も多く持っていたのは、言うまでもなくオランダである。彼らは長崎出島に於いて、ほんの針の穴ばかりの接点を、二百年来確保している。


「ペリーは、そのオランダの資料を得るために、国庫から三万ドルも支出させた。そのために日本関係の古書籍の値が欧州に於いて著しく昂騰したといはれるくらゐである」菊池寛著『続明治文明綺談』より)。なんと羨ましい所業であろう。

 

 

 


 お国のカネで稀覯本を買い漁れるなど、それを熟読することを仕事の一環に出来るなど、筆者わたしの如き趣味者にすればまさに垂涎、たまらぬ贅沢でしかない。


 当時に於ける三万ドルと現下に於ける三万ドルとを同日に語るわけにはいかぬ。


 価値の重みに、莫大な差の存すること勿論である。

 

 確か、一八六〇年の五万ドルが現在の百五十万ドルに相当すると、物の本でいつか見た。


 で、あるならば――そりゃあ波紋の一つや二つ、欧州古本市場の上に生じたりもするだろう。


 先行投資の甲斐あって、マシュー・ペリーの脳裏には、鮮明精緻な日本の像が描かれた。

 

 

 


 風俗・習慣・歴史・伝統、すべて理解した上で、長崎ではなく浦賀へと、江戸幕府の喉元へ匕首を突きつけに行ったのだ。


 それがいちばん効果的だと看破したから。


 その判断は、結局のところ正解だった。彼はとうとう日本の鎖国をこじ開けた。成功する者というのは、やはり成功すべくして成功しているのだと、――為すべき努力の方向性を見誤ってはないのだと、唸らされる経緯であった。

 

 

 

 

 


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