穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2021-01-01から1年間の記事一覧

ラムネ漫談 ―できたて一本二銭なり―

ラムネはいったい何故に美味いか。 秘訣は瓶にこそ根ざす。 初っ端から栓を抜かれて、グラスに注がれ運ばれてくるラムネなんぞはまったく無価値だ。あれほど馬鹿げた飲み物はない。せめて空き瓶を傍らに置き、視界に収めながらでなくば――。 なかなか変態的な…

昭和初頭の日葡関係 ―ポートワインを中心に―

語り手が笠間杲雄でなかったら、きっと私は信じなかった。 彼がポルトガル公使をやっていたころ、すなわち昭和十年前後。 日葡間の関係はしかし、ワインの銘柄ひとつをめぐって寒風骨刺すツンドラ地帯の陽気並みに冷え込みきっていたなどと――鵜呑みにするに…

「無敵の人」を如何にせむ ―情けは人の為ならず―

明治から大正へ、元号が移り替わらんとしていた時分。 東京市の一角で、菓子商人が殺された。 犯人は、被害者の店の元職工。戦後恐慌――日露戦争で賠償金が取れなかったことに起因する、所謂明治四十年恐慌――の煽りを喰っての業績悪化に対処するため切られた…

夢路紀行抄 ―蘇生の代価―

夢を見た。 噛み殺される夢である。 ここのところ、南洋関連の書籍を好んで読み漁った影響だろう。蛮煙瘴雨の人外境が、ものの見事に昨夜の夢寐に再現された。 私はそこで、何かしらの調査事業に携わっていたらしい。 半球型のコテージまで建て、拠点とし、…

南溟の悲愴 ―オランダ人の執拗さ―

彼の運命は哀れをとどめた。 ボルネオ島バンジャルマシンでビリヤード店を経営していた日本人の青年で、西荻(にしおぎ)という、かなり珍しい姓を持つ。 下の名前はわからない。 いつもの通り、「某」の文字で代用しよう。 さて、この西荻青年の店の扉を。 …

チフス菌を団子に包め ―明治末期の殺鼠剤―

流石に我が目を疑った。 今からおよそ一世紀前、明治日本の農家では、ネズミ駆除のためチフス菌を利用していた――そんな記述を目の当たりにした際には、だ。 青木信一農学博士が明治四十四年に世に著した、『通俗農業講話』中の発見である。 そう、『天稲のサ…

瞑想と演説 ―最初の五分の使い方―

何につけても出だし(・・・)というのは重要だ。 演説の妙技は開幕直後の五分間にこそ尽される。 「私はお話をする前に、禅宗の法として五分間静坐を致します」 釈宗演という僧の、これが決まり文句であった。 (Wikipediaより、釈宗演) 冷静に考えればな…

弾丸小話 ―武士の銃創消毒法―

縄を用意する。 川に入る。 傷口に上の縄を通して、ゴシゴシと、激しく前後に運動させる。 貫通銃創を喰らった際の、武士の消毒術だった。 むろん、痛い。 呼吸困難を起こすほど痛い。 目から火花が迸るとはこのことだ。そのまま拷問に転用されても誰も不思…

伝馬船にて特攻を ―人はどこまで闘える―

薩摩隼人はおかしいと、闘争心の権化だと、命の捨て処を弁えすぎだと、近年屡々聞くところである。 勇猛、精悍、剛毅、壮烈――そんな月並みな表現をいくら陳列してみせたところでまるで空しい。 彼らの狂気はあまりに度を越し過ぎていて、言語さえもぶっちぎ…

猛り狂わす瞋恚の炎 ―秀吉による「女敵討ち」―

豊臣秀吉の漁色癖に関しては、敢えて喋々するまでもなく、周知の事実であるだろう。 彼はまったく、女を好んだ。 この傾向は晩年に入ってもなお熄まず、どころかいよいよ拍車がかかり、もはや「好む」の範囲を飛び越え「女狂い」の観さえ呈す。本願寺上人の…

夢路紀行抄 ―機会損失―

夢を見た。 本を探す夢である。 舞台はどこぞの古本屋、それも床は打ちっぱなしのコンクリートに、照明は等間隔で吊るされた裸電球数個という、いかにも(・・・・)な雰囲気の店だった。 カウンターにでん(・・)と置かれたラジカセからは、どういうわけか…

立憲君主の理想形 ―エドワード七世陛下の威徳―

昭和五年発行、鶴見祐輔著、『自由人の旅日記』。 ここ数日来、いろいろとネタにさせていただいている古書である。 総ページ数、520頁。なかなかの厚さといっていい。読み応え十分な一冊だった。 (鶴見祐輔、シカゴ、ミシガン湖畔にて) 就中、もっとも深く…

跳躍するアングロサクソン ―真の闘争の血液を―

世界大戦中の話だ。 アメリカのとある工場が、深刻な人手不足に陥った。 そこは軍にとって極めて大事な、有り体に言えば軍需工場の一つであって、機能不全を来すなど、到底認められる事態ではない。大至急、穴を埋めねばならなかった。必要とされる人的資源…

空の英雄、沸く地上 ―昭和二年のアメリカ紀行―

昭和二年、鶴見祐輔はアメリカにいた。 都合何度目の渡米であろう。 この段階で既にもう、鶴見の海外渡航回数は二十に迫る勢だった。それは確かだ。 が、その旅程のことごとくに「アメリカ」が含まれていたわけではない。欧州の天地に限局された場合もあれば…

忘れ得ぬ人々 ―ダイヤモンドと鐵の門―

石原忍が御手洗文雄を「忘れ難き人」として、鐵門倶楽部の同窓中でも一種格別な地位に置き、満腔の敬意を表したのは、彼が「大利根遠漕歌」の作者だったからではない。 「春は春は」に開始する、競漕界の愛唱歌より。 重視したのは、彼の死に様こそだった。 …

鐵門瑣談 ―東京帝大競漕事情―

鐵門倶楽部(てつもんくらぶ)。 東京大学医学部の、同窓会の名称である。 厳めしい名だ。 重々しく、つけ入り難い、硬骨漢の集いといった感が湧く。勝手ながらそれこそが、字句の並びを一目見て、私の脳裡に咄嗟に浮かんだ印象だった。 もっとも「名付け親…

夢路紀行抄 ―寝相、うつ伏せ、ショットガン―

どうも近頃、寝相が悪くて難儀する。 意識が眠りに落ちる前、確かに姿勢は仰向けだった。にも拘らず朝目覚めると一八〇度反転し、うつ伏せ状態になっている。そのくせ布団にさしたる乱れもないのだから不思議としかいいようがない。いっそカメラでも設置して…

言霊の幸ふ国に相応しき ―歌にまつわる綺譚撰集―

中根左太夫という武士がいた。 身分は卑(ひく)い。数十年前、末端部署の書役に任ぜられてからというもの、一度も移動の声がない。来る日も来る日も無味乾燥な記録・清書に明け暮れて、知らぬ間に歳をとってしまった。ふと気が付けば頭にも、だいぶ白いもの…

寸鉄人を刺したもの ―皮肉の達人、英国人―

スランプである。 伝えたいことは山ほどあるのに、どうもうまく言語化できない。 喉元あたりでひっかかる。 もどかしさに頭皮を掻き破りたくなってくる。 五月病の一種だろうか? 私が好む季節というのは秋から冬にかけてであって、春と夏とは苦手な性質(た…

活字に酔いつつ酒に酔う ―嗚呼ひとり酒の愉しみよ―

酒の境地は独酌にある。親しき友あるもいい。宴会の酒は少しく社交に走らざるを得ない煩ひがある。要するに酒は環境による。 (いいことを言う) 大いに頷かれる記述であった。 (立ち読みで済ますのはもったいない) 心の天秤の指針が動き、「買うに値する…

励めや励め国のため ―艱難辛苦の底の歌―

子は親を映す鏡というが、下村家の父子ほど、この諺を体現した例というのも珍しい。 海南の父、房次郎も、倅に負けず劣らずの、熱烈極まる海外志向の持ち主だった。 (中央が下村房次郎) この人の興味は専ら北方、日露貿易の開拓にこそ集中し、両国の和親実…

総督府のひとびと

鉄道部の村儀(むらよし)は、とにかく色の黒い男であった。 おまけに顔の彫りも深い。 弥生人との交配を経ず、縄文人がそのまま現代に生き残ってしまったような骨柄で、それだから外来客が総督府内で彼を見かけたりすると、 「生蕃(原住民)を官途に就かせ…

江戸時代の化石燃料 ―橘南渓、越後に遊ぶ―

橘南渓が訪れたとき、黒川村ではちょうど池の一つが売りに出されたところであった。 「いくらだね」「五百両でさァ」「……」 ――馬鹿げている。 と、ここが黒川村でさえなかったならば、南渓もあきれたに相違ない。 (Wikipediaより、橘南渓) それだけの金を…

地球の鼓動を背に聴いて ―阿蘇山中岳第一火口飛び降り事件―

こんな野郎も珍しい。 三原山の火口に飛び込み、火葬の手間を一挙に省き、文字通りひとすじの煙となって昇天する輩なら、ダースどころかグロス単位で存在していた昭和日本。 ところがこの日、古賀某なる二十三歳の会社員が飛び込んだのは、三原山にあらずし…

海南の教え ―外つ国に骨を埋めよ日本人―

かつて下村海南は、日本列島を形容するに「狭い息苦しい栄螺(さざえ)の中」との比喩表現を敢えて宛(あて)がい、いやしくも男子に生まれたからには斯くの如き小天地に逼塞するなど言語道断、よろしく気宇を大にして、思いを天涯に馳せるべし、そうしなけ…

たまの寄り道 ―椿一郎詩作撰集―

そのころの竹柏会に椿一郎なる人がいた。 千葉県北部――茨城県と境を接する香取郡は米沢村の農家であって、最初の歌集『農人の歌』を出版したとき、すなわち昭和九年の段に於いては、親子五人と馬一頭、それから鶏二十四羽というのがおおよその家族構成であっ…

夢路紀行抄 ―覗きの報い―

夢を見た。 機械と猫の夢である。 時刻は夜。私はどこか、海に近いホテルの一室に投宿していた。 部屋立ては、なんてことない。 テレビにベッド、こじんまりした丸テーブルと、簡素ながらも必要十分な道具は揃ったありきたりのビジネスホテル風である。 が、…

仏教徒による大暴動 ―1938年ビルマの夏―

ビルマで暮して四十年、山田秀蔵はいみじくも言った。 ビルマを理解したいなら、まず宗教を理解せよ。 ラングーンの天を衝いて聳え立つ、黄金の仏塔――シュエダゴン・パゴダが象徴するそのままに。 ビルマは仏教国である。 人々の日常生活は仏教文化と非常に…

古き文士の女性観 ―この窮屈な現世こそ―

生方敏郎、 竹久夢二、 徳冨蘆花、 小酒井不木――。 文芸史上に光彩陸離たるこの人々も、しかし時折女性に対してひどく辛辣なことを言う。 お前ら女関係で、何かコッピドイ目に遭ったのかと勘繰らずには居られぬほどに。 生田春月はそれが、それのみが男の偉…

ビルマに跳梁する華僑 ―日貨排斥華僑同盟―

盧溝橋事件が突発する少し前、1930年代半ばごろ。中華民国は世界各地に散らばった華僑の数を統計し、そのデータを発表している。 国民政府僑勢委員会たらいう組織が調査を主導したようだ。 それによると、 まず、タイに於いて二百五十万、 次いで英領マレー…