穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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世に平穏のあらんことを


 例の「真宗に山寺なし」も然りだが――。


 仏門諸流多しといえど、どうも福澤先生は、浄土真宗を買っている。その傾向が大である。


真宗は由来久しくして、国民の信心最も深く、且その宗義も能く民情に適したるや、凡そ日本国中に於て宗門の勢は真宗の右に出る者なく、日本は仏法国即ち真宗国と云ふも不可なきが如し。――御当人の文に徴して明らかである。大和民族の精神に至妙至当によくなじむ・・・、さりとてはのモノと心得、期待をかけていたようだ。

 

 

Syouzoumatsu Wasan7

Wikipediaより、親鸞筆「三帖和讃」)

 


 何の期待か。


 言うまでもない、日本国民の思想善導、特にいわゆる下層階級、智慧に乏しく迷信深い、世の大多数を占める人々の善導である。


 なるほど確かに女性の得度――それも髪を落とさぬままの、女性僧侶の存在を、いちばん最初に公認したのは真宗だった。昭和六年五月中旬、築地本願寺輪番である岡部宗城がこんなコメントを出している、

 


真宗は昔から家庭宗教で、婦人とは縁の深かった宗教で、昔から住職の内室達に坊守講といふものがあり、いろいろ宗教運動を行って来た。今日ではそのあとが寺族婦人会となり女教士といふ婦人伝道師の役まで出来て説教所の創設や社会事業やその他の宗教戦線の第一線に立って活動してゐます。だから女の僧侶創設といっても、さういふ永い伝統を更に一歩すゝめて、髪を剃らずに得度式だけして、男子の僧侶と同等の資格を与へやうとするにすぎません

 


 と。


 これは決して「奇を好む」的な、突飛な挑戦にあらずして、根深い由来に基いた、前後の脈絡、実に確かな試みなり、と。世間の反撥を避けるべく、噛んで含めるようにして非常に非常に丁寧に説いてくれたものだった。

 

 

Tsukiji Honganji 200902

Wikipediaより、築地本願寺

 


 先見性と、それに伴う周到さ。


 なるほど確かに福澤が見込んだだけはあるようだ。


 まあもっとも、仏の前で三世の結びをシッカと誓う、つまり仏前結婚式をおっぱじめた光栄は、増上寺――浄土宗に先んじられているのだが。


 第一号は明治末年。そこからいろいろシステム周りを整えて、大正九年十一月十五日以後、一般向けにも門戸を開き、広く受付を開始したと聞き及ぶ。

 


寺と云へば仏事弔ひをこれ能事として一般世間のお目出度の席などへは出る事をしない、これでは現代の思潮に添ふ事は出来ない。当寺では我等社会の覚醒でもあり贅沢費節約主旨ともなるから簡単に済ます仏式結婚を開始する筈でこの十五日から受附であるが、当分は徳川家康の守り本尊黒本堂にて執行し、建築中の本堂出来の暁は本尊にて取扱ひ、当寺九十三歳の堀尾大僧正常に司会者となり二十五分で式を済し宴会其他一切の面倒は引受けて之を行ひ費用は実費だけを申し受ける」

 


 当時の執事、戸松某のコメントである。

 

 

(昭和初頭の増上寺

 


 こちらはこちらで並々以上に弁が立つ。死人の世話だけしているように思われるのは具合が悪い、満足出来ぬというわけだ。


 仏教史と云うヤツも、掘ればなかなか面白い。目まぐるしく変化する世に掉さして、坊主らもまた生き残りを賭け必死に足掻く有り様が、実に見応え満点である。

 

 

 

 

 


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