流石に我が目を疑った。
今からおよそ一世紀前、明治日本の農家では、ネズミ駆除のためチフス菌を利用していた――そんな記述を目の当たりにした際には、だ。
青木信一農学博士が明治四十四年に世に著した、『通俗農業講話』中の発見である。
野鼠をへらすものは、その同類の野鼠で、これは共喰をするからです、その他蛇もこれを捕るが、夜は、フクロウも捕ります。フクロウにこの鼠をとらせるには、細い竹をアーチ形に曲げて、畑の処々に立てておくのです。するとフクロウは、この竹の上に来て、番をしてゐて、鼠が、出口から出ると、チューともいはせずに捕ってしまひます。
ここまでは穏当といっていい。が、
鼠の蕃殖を防ぐもので、まだ一つ大切なものがあります。それはチフス病でして、人間には伝染しませんが、鼠には、非常に伝染するのです。人間は、えらいもので、このチフス菌を培養して、蕎麦団子にまぜ、これを例の出口の辺におく。それでこれを食った鼠は、みな病んで死ぬのです。(149~150頁)
にわかに一転、この毒々しさはどうだろう。
――おいおい。
と、思わず口に出していた。
実際問題、ホウ酸団子どころではない物騒さである。
当時に於ける本邦平均寿命の短さ、乳幼児夭折率の異様な高さ。その原因の一端を垣間覗き見た感がして、軽く眩暈さえしたものだ。
「人には伝染しません」と、太鼓判を押してのけた青木博士には気の毒だが。鼠チフス菌というのは人にもしっかり伝染し、食中毒を惹き起こす。主な症状は発熱、嘔吐、水下痢で、殊に熱に至っては、40℃の大台に達することも珍しくない。しかもその高熱が、少なくとも三日間に亘って続く。
命を脅かされるには十分だろう。
そんなものを培養し、一般人にも手軽に購入可能にし、蕎麦粉に包んで畑のあちこちに置いておく。
げに恐るべき眺めであった。
もっとも鼠チフスが人には
(Wikipediaより、開花時期の蕎麦畑)
鼠に限らず、本書に於いては虫害ないし病害のため――その説明と対策にかなりの紙面を割いている。その力の入り様を一瞥すれば、これらの要素が農家にとって如何に憎々しい敵か、おのずから読み取れようというものだ。
「除虫菊の粉と木灰を混ぜて振って置く」のは対ネキリムシの一法であり、農薬の雛型を透かし見るような感がして、こう、なにやら妙な趣深さが伝わって来もするだろう。
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