橘南渓が訪れたとき、黒川村ではちょうど池の一つが売りに出されたところであった。
「いくらだね」
「五百両でさァ」
「……」
――馬鹿げている。
と、ここが黒川村でさえなかったならば、南渓もあきれたに相違ない。
(Wikipediaより、橘南渓)
それだけの金を積んだなら、良田がいったい何枚買えるか。考えるだに愚かしいほどの額だった。しかも当の池ときたらどうだろう、田んぼ一枚ぶんにも満たない、小池と呼んで差し支えない規模ではないか。
本来ならば
――おのれ我を
と、喧嘩になってもおかしくはない取り引きだった。
ところがしかし、くどいようだがここは黒川村なのだ。
自然じねんと原油の湧き出す、日本最古の油田地帯なのである。
江戸時代も戦国時代も室町時代も鎌倉時代もすっとばし、平安時代さえ超えて、古色蒼然神さびた奈良・飛鳥朝のむかしから。この地に棲まう人々は油と水の分離法を心得て、その成果物を時の朝廷に献上し、恭順の意を顕していた。
そのあたりの消息は、橘南渓訪問の、この江戸時代中期に於いてもさして変わらず。村人たちは「カグマ」と呼ばれるシダを束ねた道具で以って採油を行い、一つの池から毎日およそ二升ばかりの油を得ていたということである。
これがいい商売になるのだ。
『東遊記』から南渓自身の文章を引くと、
…されば此辺の人は、他国にて田地山林などを持て家督とする如く、此池一つもてる人は、毎日五貫拾貫の銭を得て、殊に人手もあまた入らず、実に永久のよき家督なり。此ゆゑに池の売買甚だ貴し。
まず、このような具合であった。
今も昔も、エネルギー資源は巨万の富を齎すらしい。
(Wikipediaより、黒川庁舎)
南渓はまた、同じく新潟県内で、天然ガスの発火現象をも目撃している。
というよりも、順番的にはこちらが先だ。如法寺村の
以下、再び『東遊記』から引用すると、
…此村に自然と地中より火もえ出る家二軒あり、百姓庄右衛門といふ者の家に出る火もっとも大なり。三尺四方ほどの囲炉裏の西の角にふるき挽臼を据ゑたり、其挽臼の穴に箒の柄程の竹を一尺余に切りてさし込有り、其竹の口へ常の火をともして触るれば、忽ち竹の中より火出で、(中略)此火有るゆゑに庄右衛門家には、むかしより油火は不用、家内隅々までも昼の如し。
竹をパイプ代わりに使うなど、なんとも日本的な味わいで趣深いではないか。
「これは、いつの頃からこのように?」
南渓の疑問に、
「正保二年三月と、そのように伝えられておりまする」
当代の庄右衛門は、ごくさりげなく
(なんと、百四十二年もむかしかよ。……)
流石に目を見張らずにはいられない。
如法寺村の火井については、やがて葛飾北斎もその有り様を描き写し、『北斎漫画』に加え入れるなど北陸屈指の名勝として声威をいよいよ逞しくした。
明治十一年にはなんと、至尊――天皇陛下のご来臨にさえあずかっている。北陸巡幸の道すがら、めでたくも鳳駕を寄せられ給い、ご観覧あそばされたとのことだ。
幸福な火としかいいようがない。
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