ラムネはいったい何故に美味いか。
秘訣は瓶にこそ根ざす。
初っ端から栓を抜かれて、グラスに注がれ運ばれてくるラムネなんぞはまったく無価値だ。あれほど馬鹿げた飲み物はない。せめて空き瓶を傍らに置き、視界に収めながらでなくば――。
なかなか変態的な物言いである。
こんなことを公共の場で力強く主張したのは、徳川夢声なる男。わが国マルチタレントの元祖たるべき存在で、「徳川」の二文字を冠するものの、権現様――旧将軍家の血筋とは、べつに何の繋がりもない。
「あの形を見ろ、あの上半身の凸凹を」
更にヒートアップして、夢声によるラムネ談議は続行される。
口から段々太くなって下った所に、指で押したやうな軟かい窪みが、三ヶ所か四ヶ所、ぐるりと取巻いてゐて、その膨らみ切った直ぐ下に、左右から丸い棒で押しつけたやうな凹みがついてゐる。それから下は普通の円筒だが、これがまたどっしりした感じで、瓶全体に健康な女性の、――たとへて云へば、陽にやけた海女の肉体を思はせるやうな、剛毅なる艶めかしさがある。(昭和十六年『甘味』267頁)
なるほど確かに言われてみれば、そんなような感じもしてくる。
してみると川の流れに身を委ね、キンキンに冷やされている無数のラムネ瓶というのは、ひどく扇情的な光景になりはすまいか? カラカラと、栓をしていたビー玉が転がり奏でる軽やかな音、口の中で弾ける炭酸。数十年を経た今も、少年時代の思い出としてこれらの要素が色濃く脳裡に焼き付いている原因は、ひょっとするとこんなところに見出せるのか?
まあ、それはいい。もう少しだけ、徳川夢声のラムネ論を傾聴しよう。
拘りの強烈なこの男にとり、生涯最高のラムネ体験。ぞくぞくするような刺戟を伴うその味わいは、炎熱厳しいインド洋を航行中の軍艦でこそ訪れた。
昭和十二年の四月と六月、二回私は軍艦で印度洋を通過し、大いにラムネを楽しんだ。軍艦には立派なラムネ工場があり、冷蔵庫で冷やしたのが一本二銭である。
摂氏三十幾度の酷熱に茹りつゝある時、士官(食堂兼社交室)でラムネを命ずると、水兵さんのボーイが、礼儀正しく盆に乗せて、私の前に持参する。私は、掌にヒヤリと来る瓶の感触を楽しみつゝゴクリとまづ一口、忽ち熱した食道を氷の棒が走る思ひだ。オレンヂ色のゴムの香りが微かに鼻をぬけるのも悪くない。(268頁)
大日本帝国海軍に於いてラムネといえば、即座に大和が連想されるが、艦内にラムネ工場を蔵していたのは彼女のみでなかったようだ。
大和の建造が始まったのは昭和十二年十一月四日より。夢声がインド洋に浮かんでいた時分には、影も形も存在しない。件の「軍艦」が大和でないのは明らかである。
海軍のフネには、割とポピュラーな施設だったのではなかろうか。
(Wikipediaより、戦艦「大和」)
――それにしても。
と、我と我が身を省みる。
少年の日から幾星霜。ふと気がつけば酒を割るのにばかり使って、炭酸飲料そのものに舌鼓を打つ機会というのはめっきり少なくなってしまった。
今年の夏は久方ぶりに童心に還って、ビー玉を押し込むのもいいかもしれない。慌てて噴きこぼさぬように、今のうちから留意しよう。
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