縄を用意する。
川に入る。
傷口に上の縄を通して、ゴシゴシと、激しく前後に運動させる。
貫通銃創を喰らった際の、武士の消毒術だった。
むろん、痛い。
呼吸困難を起こすほど痛い。
目から火花が迸るとはこのことだ。そのまま拷問に転用されても誰も不思議に思うまい。
が、だからといって激痛を厭い処置を怠ろうものならば、もっと陰惨な結末が口を開けて待っている。
戦場が武士の檜舞台であった時代。鉄砲といえば、即ち火縄銃を指す。
弾は丸く、鉛製で潰れやすい。それが逆に厄介だった。命中すれば身体の中で砕け散り、非常に広範囲に破壊が及ぶ。早い話がダムダム弾の要領だ。よしんば即死しなくとも、破片を残して穴を塞いでしまった場合、そこから徐々に汚染が広がり、衰弱の果てにお陀仏か、軽く済んでも廃人化する破目になる。
「鉛中毒」――この単語にまとわりつくおどろおどろしさは伊達でないのだ。ローマ帝国が上下を挙げてさんざん証明した通り、重金属の悪影響は全く以ってえげつない。人間を人間たらしめる能力を、いとも容易く奪ってしまう。
前述の通り、弾は潰れて広範囲に喰い込んでいる。いちいち手作業で摘出するのはとてものこと煩瑣に過ぎよう。荒っぽくとも、縄でしごいて繊維に捉え水に流してしまうのが、当時に於ける理に適った作法であった。
有名どころを挙げるなら、旧幕臣の江原素六が戊辰の役で被弾した際――市川・船橋戦争で脚部に三発――、この遣り口を実践し、どうにか一命をとりとめている。
目ん玉ひんむき、
歯を食いしばり、
白い
この試練に耐えたのだ。
以上、『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』を観た勢いで、思いつくまま書き殴った次第であった。
折角なので、ちょっと蛇足を付け足しておく。
弾はなかなか当たらないもの。欧州大戦の塹壕戦では兵士一人を殺すのに、彼らの平均体重の二倍の弾が要ったという。
「たまたま当たるからタマと言うのだ」――これは決して馬鹿話ではない。
まあ、だからといって安心していい要素なんぞは少しもないが。
近代戦の物量は狂気だ。
日露戦争全期を通して我が陸軍がぶっ放した砲弾およそ百万発を、フランス軍はものの三日で使い果たした。1915年、シャンパーニュの会戦に於けるレコードだ。「砲弾で地上を耕さねばならぬ時勢になった」と驚異も露わに書いたのは、旅順で右手を吹っ飛ばされた軍事作家の櫻井忠温その人だった。
(櫻井忠温)
小銃から大砲へと話がズレたが、どうせ蛇足だ、構うまい。今吐き出さねば、ついに再び触れる機会はないかもしれぬと予感したのだ。例の私の覚え書き、『糟粕壺』にはそう
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