穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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明治毛髪奇妙譚・前編 ―アタマは時代を反映す―


 清帝国が黎明期、辮髪を恭順の証として総髪のままの漢人の首をぽんぽん落としていたように。


 ピョートル大帝がひげに税を課してまで、この「野蛮時代の風習」を根絶しようとしたように。


 あるいはいっそヒトラー式のちょび髭が、公衆に対する挑発として現代でもなお禁忌とされているように。


 毛髪、特に頭部に根を張る毛というやつは、往々時代を映す明鏡となり、人命さえも左右した。

 

 

Qinghairstyle

Wikipediaより、辮髪の変遷図)

 


 わが国とて例外ではない。

 


半髪頭をたたいて見れば、因循姑息の音がする。


惣髪頭をたたいて見れば、王政復古の音がする。


ザンギリ頭をたたいて見れば、文明開化の音がする。

 


 あまりにも有名な如上の歌が示すまま、維新成立間もないころは、ちょんまげを切り西洋風の短髪へと整え直すことこそが文明化への第一歩であり、新時代に参画する権利の如く持て囃されたものだった。

 

 

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(『江戸府内 絵本風俗往来』より、髪結いどころの初剃り)

 


 誰も彼もが相競うように鋏を入れた。まさに時代の流れであった。


 ところがこの潮流が、ある地点を機に思わぬ方面に迸出している。断髪熱があまりに高まり過ぎた結果として、なんと女性の中からもこれに追随せんとする一種勢力が生まれたのである。


 緑なす黒髪が惜し気もなく落とされた。


 その発生はよほど早く、明治五年三月の『新聞雑誌』――後の『東京曙新聞』――に、もう以下の如き記事がある。

 


…女子は従順温和を以て主とする者なれば、髪を長くし飾りを用ゆるこそ万国の通俗なるをいかなる主意にやあたら黒髪を切捨て開化の姿とか、色気を離るるとか思ひてすまし顔なるは実に片腹いたき業なり…

 


 大正時代、モダンガールの間でも短髪がしきりに流行し、中には男の格好をして吉原へと繰り込んで、大いにふざけちらした「豪傑」さえもあったと聞くが、なかなかどうして明治初頭のお姉様方も負けてはいない。

 

 

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(昭和の名優・琴路美津子)

 


 同じ『新聞雑誌』から、具体的な姿についてもう少し引用を続けよう。

 


…洋学女生と見え大帯の上に男子の用ゆる袴を着し、足駄をはき、腕まくりなどして洋書を提げ往来するあり…

 


 甚だしいのになると更にこの上、刀を一本ぶち込んで、大道を練り歩く「大物」まで居たそうだ。


 明治五年というと、西南戦争どころか佐賀の乱すら起こっていない。


 神風連を暴発させた廃刀令も必然としてまだ・・であり、こういう光景が成立する条件は、なるほど確かに備わっている。


 個人的にはこれはこれで悪くない、見ごたえのある眺めであるが、当時の人々の衝撃は尋常一様でなかったらしい。白昼亡霊をみるより更に、あるいは深刻だったろう。

 

『新聞雑誌』の論調も「是等は孰れも、文明開化の弊にして、当人は論なく父兄たる者教へざるの罪と謂ふべきなり」――文明開化の金看板でも糊塗しきれない悪習であると批判している。

 

 

KIDO TAKAYOSHI

Wikipediaより、木戸孝允。『新聞雑誌』の創立に関係)

 


 政府からのお達しも数度にわたり、矯正に尽瘁したそうだ。


 過渡期というのがどういうものが、狂熱ぶりがよく感じ取れる話であろう。

 

 

 

 

 

 

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