日露戦争の期間を通し、大阪毎日新聞はかなり特ダネに恵まれた。どうもそういう印象がある。
一頭地を抜く、と言うべきか。
例の手帳はもちろんのこと、海軍にその人ありと謳われた不世出の作戦家、秋山真之参謀相手にインタビューを試みて、
――ここが思案のインド洋。
の囃子文句を喋らせたのも、実は『大毎』記者なのだ。
(昭和初期、大阪毎日新聞社)
これを「恵まれた」と評価せずしてなんとする。
明治三十八年二月一日の號である、そのインタビューが載ったのは――。
「バルチック艦隊果して来るや否やはロジェストヴェンスキーに聞いてみなければわからないが、ロジェストヴェンスキーも内外の複雑なる事情と自己の責任の重大なるため容易に進退の決心が出来なからう、マア『いこかウラジオ、かえろかロシア、ここが思案のインド洋』とでもいふ様な境遇に居るものと判断するのが至当と考へる」
これが秋山の発言だ。
今日に至るもなお廃れない七・七・七・五は、斯くの如き文脈のもと生起したるものだった。
その脈を、更に更に辿ってみると、
「まあ何れにしても我々には差支えはないけれども此バルチック艦隊が地球の表面の何処に存在してもナカナカ口をきく奴だからどうにかして全滅してやりたい、今の様に距離が遠くては砲弾も水雷も迚も届きやうがないから今少し東洋方面に寄り附くか、又は此方から出掛けるかどうかせねば物にはならない、実は我々も敵の逡巡せるには少々閉口してゐるのだ」
こんな展望が開かれる。
いやさまったく、なんと強気な姿勢であろう。
語り口の軽妙さ、陽気さときたらもう堪らない。秋山の言葉を吹き込まれると、胸がむくむく膨らんで、バルチック艦隊の撃滅なぞ草いきれのする畦道で手づかみカエルを獲るような、そういうひどく他愛もない、児戯にすら似た容易な所業に思われてきて狼狽える。
相手の心をゴム鞠みたく弾ませる
以降、暫らく秋山は、駆逐艦や水雷艇の能力を多少誇張を交え説き、
「兎に角戦争は必ずしも駒が沢山揃ってなければ出来ぬといふ訳ではないので、金や銀は少なくても桂馬や香車が沢山あれば将棋には勝てる、ソコが即ち用兵の妙だ。旅順艦隊の手並から判断すると新来バルチック艦隊の技倆も大抵分って居るから我百錬の艦隊は飛車角将を下しても決して不覚は取らないと確信して居る、殊に我艦隊は充分駒が揃って居るから此勝負に就て国民は毛頭懸念するに及ぶまいと信ずる、唯だ一日も
素ん晴らしい大風呂敷・大気焔をぶち上げたるものだった。
本当は「寝醒めが悪い」どころではない、ノイローゼ寸前の精神状態、青色吐息もいいところな臨界点に立ちながら、身体のどこをどう押して、これほどまでに景気のいい音を出したのか。
英雄人を欺くとはよくも言ったり。脱帽以外の何ができよう、斯くも巨大な演技力ないし弁才の発露を前にして――。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」。くだんの珠玉の名言が、その場限りの偶然の産物でないのだと、心の底から納得させていただいた。やはり当時の大阪毎日新聞は、あらゆる意味で恵まれている。
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