穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

ゴム鞠たれ、潤滑油たれ ―三井の木鐸・有賀長文―


 面接に於ける常套句と言われれば、大抵がまず「潤滑油」を思い出す。


 あまりに多用されすぎて、大喜利のネタと化しているのもまま見受けられるほどである。


 人と人との間を取り持ち、彼らの心を蕩かして個々の障壁を取り払い、渾然一体と成すことで、組織としての能力をより効果的に発揮する――そうした能力は確かに貴重だ。どんな時代でも重宝されるに違いない。


 明治に於いて、既にそのことに気が付いていた者が居る。


 気が付いて、意識的かつ積極的に活用していた者が居る。


 元老、井上馨その人である。

 

 

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(井上の佩刀。元治元年、袖解橋の変の折、差していたもの)

 


 もっとも当時、「潤滑油」は未だ一般的な語句でなく、従ってまた井上も、別な言葉でその役割を表現したが。


 彼は「ゴム鞠」と呼んだのだ。


 具体例を示そう。


 有賀長文を三井財閥に斡旋する際、与えた訓示がちょうどいい。


 井上はこう言ったのだ。

 


「三井には人材が少なくない、今度お前が同族に入って行くといふのは、仕事に行くのではない。偉い人間の間にはさまって、その調子を取って行く、つまりゴム鞠と心得なくてはいけない。ゴム鞠はあちらこちらとぶつかってもフワリフワリとつぶれない。又ぶつかった方でも痛いとは感じない。いくらぶつかっても他人に傷つけない。此ゴム鞠の如くあれよ」

 

 

Mitsui Main Building

Wikipediaより、三井本館)

 


 この教えがまた有賀の胸に、ほとんど何の抵抗もなくスンナリ浸透したらしい。


 以降三十余年に亘って、有賀はひたすらゴム鞠主義を墨守した。


 ただの一度も実際的な事業経営の任には就かず、しかしながら三井財閥の総本山たる合名会社に揺るがぬ地歩を築き上げ、誰からも一目置かれる、誰であろうと無視が出来ない特殊存在。包容力に満ち満ちた温厚長者の風格と、人を見る目の確かさから、「三井の宮内大臣と通称されたものだった。


 人に好かれ、人を使い、広汎な知識と分厚い常識とを駆使し、要所要所で決断を下す。そういう自分を意図して作り上げていった形跡がある。井上が投げたゴム鞠は、かくも豊穣なる人間性を結実させた。その功、大といわざるを得ない。

 

 

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(井上の筆跡。

 「かきのこす

  その真心を

  今日の世に

  見るも涙を

  袖にとゝむる 馨」

 


 ――と、ここから先は蛇足であるやも知れないが、想起してしまった以上は書いておきたい。書かねば損をしたような、後悔にも似た「もったいなさ」がへばりついて離れない。


 筆者、覚えがある。


 有賀長文の如き種類の人物を、以前にも見かけたことがある。


 大正三年、三宅雪嶺『世の中』上に於いてのことだ。

 

 

 世間に様々の階級種々の職業があり、何んでも専門に傾くと云ふ事になると共に、常識の必要を感ずることが多い。而して実際常識に富んだものは巧みに世を渡って行く。才気が満ちて判断流るゝが如き者も一向立身せず、動もすれば窮迫の態度であるのに、学校で不成績なものが次第に立身出世する事あるのは屡々見る所である。而して其の人を見れば強ち幸不幸のみでない、才物は才物でも何処となく、イケ好かないのがあり、才物でなくても当てになりさうなものもある。世の中の浮沈は常識に富んで居ると否とで定まる事が多い。(中略)何が出来るか解らぬのに高位高官に居るのも不思議はない。宮内大臣になった土方、田中、渡辺の三人は皆伯爵である。何の能があるかと疑はれたりするが、能よりも常識である。銀行頭取だの会社々長だの多くは能よりも常識で事を処理して行く。

 

 

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(少年時代の三宅兄弟。右が雪嶺、左が兄の恒雄)

 


 引き合いに出すのが宮内大臣であるあたり、いよいよ奇縁の感じが強い。


 山と積まれた書籍はときに、思わぬ衝突――化学反応を起こしては、所有者をして新たな愉快に誘ってくれる。蒐集家冥利に尽きるというものである。

 

 

 

 

 


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