穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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大目出鯛の戸沢どの


 佐竹がやってくる以前、羽州北浦――田沢湖附近一帯を治めていたのは丸に輪貫九曜紋、戸沢の一族こそだった。

 

 

丸に九曜

Wikipediaより、丸に輪貫九曜紋)

 


 石高、四万五千石。評判はいい。善政を敷いていたらしい。


 百姓どもと領主の距離も近かった。戸沢の殿が田沢湖畔に祠を建てて、宇伽神――弁財天を勧進すれば、百姓どもは毎年正月十一日に小判型の餅をこしらえ、供物に捧げに持ってくる。誰に命ぜられるまでもなく、自然とそういう習を成す。


 すると殿様、その敬虔さ、純朴さを喜んで、百姓どもの主立つ顔を城に呼び、酒肴を与えてもてなして、お褒めの言葉をかけてやる。そういう循環、年中行事がごくさりげなく形成されたものだった。


 まこと、長閑のどかな景色であろう。


 聖徳太子の唱えた理想、和を以て貴しと為せというのは、斯くの如きを指すのでないか。

 

 

田沢湖

 


 戸沢の徳を百姓どもは大いに喜び、また慕い、御家の武運長久と弁財天の加護とを祈り、ついには歌謡うたまで作られる。


「大目出鯛」とかいう題の、もう名前からして景気のいい歌だった。

 


 これの館の水口に。咲いたる花は何の花、黄金こがねの花か米の花、これから長者になりの花、おめでたいてや、おめでたいてや、おうくとこうくとおめでたい。それから長者と呼うばれて、呼ぶも呼うだし、呼うばれた、朝日の長者と呼うばれた。
 東窓の切窓から、おうがの神は舞い込むだ、なあにをもって舞ひ込むだ。黄金の銚子をさし上げて。
 どんどめぐてや、どんどめく、何をするとてどんどめく、ゑびす大黒、ぜにかねつむとてどんどめく。

 


 東北地方特有の訛りが諸所に挟まり、つっかかりを覚えるが、それでもまあ、おおよその雰囲気は察せよう。

 

 

田沢湖白浜)

 


 秋田県では今でも夏に、戸沢氏祭なる盛大な祭事が催され、過ぎし世を愛おしんでいる。

 

 

 

 

 


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