山形県東村山郡作谷沢村の議会に於いて、男子二十五歳未満、女子二十歳未満の結婚をこれより断然禁止する旨、決定された。
昭和五年のことである。
(昭和初期の山形市街)
――はて、当時の地方自治体に、こんな強権あったのか?
とも、
――なんとまあ、無意味なことを。
とも思う。
大方世上を賑わわせていた、人口過多・産児制限のあおりを喰っての反応だろうが。――およそ情念という情念の中でも男女の恋の炎ほど天邪鬼なものはない。障害物が高いほど、引き離す力が強いほど、いよいよ盛んに燃え上がる。当事者にとってはその一切が単なるスパイスに過ぎないのだ。
堰けば堰くほど強くなる
この都々逸の示す通りだ。江戸時代の戯作本、否、下手をすれば紫式部のむかしから散々描き出された性質、わかりきったことではないか。
根底に無理がある。
少しは米国を見習うがいい。
ほとんど同時期、合衆国はオクラホマ州で九十一歳の老人が十九歳の花嫁を迎え、意気揚々と新婚旅行に出発している。
旅行先での興奮に、彼の心臓が
ニューヨークでは一年間で四百八十三名もの女子学生が「結婚」を理由に退学し、十六歳がそのうちの最大比率を占めてはいたが、十五歳も八十三名含まれて、中にはなんと十二歳の少女の姿まであった。
たまらぬ自由の味だろう。
極東の島国の些細な隆起、鈴鹿山脈の上を飛んでいた航空機から、須藤
アメリカでは肺病患者を飛行機に乗せ、一万二千フィートの高さにまで達せしめ、そこの空気を吸わせることで病気治療に役立てるという、まったく新しい転治療法が行われていた。
なるほど確かに理屈は通る。
英国の思想史家であり、また登山家としても名を馳せたレズリー・スティーヴンは山の魅力を説明するに、
――山では百万の肺腑をくぐったようなものとは別の空気を呼吸することが出来る。
こんな言辞を用いたものだ。
転地療法も狙いは同じ。都塵と無縁な、生まれたての新鮮な空気を思う存分吸い込める、何処か自然の懐へ患者を移すことにより、心身ともに爽快の気を充填せしめ、健康回復に役立てるのだ。
だからサナトリウムの建設場所は、山奥とか浜辺の近くの高台とかに、だいたい相場が決まっている。
が、アメリカ人らは従来の相場に飽き足らず、もっと清冽な空気を吸える場所を求めた。
その結果が、航空治療。一万二千フィートの空に、患者の呼吸器を直接曝す。滞在はおよそ三十分間、「転地」と呼ぶには短すぎるきらいがあるが、しかしその効果は絶大だった。
空気の良し悪し以外にも、目に映る絶景、身を包む浮遊感等々が、患者の心に生の活力を与えたようだ。実際肺病以外にも、失語症が治っただとか、神経痛がうそのように消えたとか、そんな報告が相次いでいたそうである。
太平洋を差し挟み、同じ惑星、同じ時代でこれほどの差異。富める国と富まざる国の比較とは、斯くまでも、ああ斯くまでも。
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