こんなおとぎばなしが西洋にある。
どこぞの小さな国が舞台だ。王と王妃が登場するから、王制を採択していたのは疑いがない。夫婦仲は良好で、国民からも慕われていた。
が、なにもかも順風満帆であってくれては、それこそ物語として発展する余地がない。必要なのは問題である、試練である。艱難が立ち塞がってこそ、その攻略の意志に燃え、知力腕力あらゆる力を振り絞る人の雄々しき姿も見える。詩に歌に、芸術を育む土壌とは、得てしてそんなものだろう。
ご多分に漏れず、この王家にも問題があった。仲睦まじさに拘らず、なかなか子宝に恵まれぬ。なにやら「いばら姫」を想起させる構図である。
話が展開するにつれ、既視感はますます強くなる。紆余曲折を経た末に、とうとう顕れる懐妊の徴。王の祈りが果たして天に通じたか、王妃は間もなく待望の第一子を産んだのだ。
母子ともに健康、しかも男児の誕生に、王の歓喜は絶頂に達した。産衣に包まれた王子を主役に、祝いの宴がさても盛大に執り行われる。やがて王の招きを受けた十二人の魔法使いが現れた。彼ら、あるいは彼女らは、その超常の力で以って美貌とか智慧とか体力とか、素晴らしい贈り物を王子に与えた。
既視感もまた、このあたりで最大限度に達しよう。
ただし「いばら姫」と異なって、この童話には招かれなかった十三人目はいなかった。代わりと言ってはなんであるが、十二人目が変なモノを贈ろうとした。
即ち「不平」。現状に満足することのない煩悶の種。そんなのを目の前でまさに埋め込まれんとして、王はむろん激怒した。さてもめでたい祝いの席に、貴様は泥を塗りたくる気か、と。
十二人目はただ従容と席を立ち、門の外へ消え去った。
時が流れた。
(エディンバラ城鳥瞰)
ごくありきたりな自然界の法則が、王子を赤子のままにはしておかなかった。少年の段階も過ぎ去って、彼は既に青年の域。かつて約束された通りの涼やかな容姿に成長していた。
が、その双眸にはどういうわけか、痛ましいほど生色がない。
ガラス玉の方がまだしも艶を帯びていたろう。
そう、この王子には致命的に情熱がない。物心ついてからこっち、半秒たりとも自主性を見せたことなき人物なのだ。
(なんということだ)
これではまるで生ける屍ではないか――口には出さねど、王が思ったこと一度ではない。
心臓が
(もしもあのとき、十二人目の魔法使いの為すがままにさせていたなら――)
つまりは「不平」が宿っておれば。きっとこの子はまだ見ぬ何かを手に入れたいと渇望し、積極的に動いたろうし、また一方では世の中のことに憤り、その溢れんばかりの才を尽して是正のために立ち働いたに違いない。
不平と欲とは切っても切り離せない関係にあり、そしてまた欲望こそが
(そういうことだったのか)
漸くのこと理解して、しかしもはやどうにもならぬと、王は底なしの後悔に沈んでいった――ざっとこんな塩梅である。
(ヨークに遺るローマの城址)
人生には多少の塩っ気が必要不可欠ということだろう。
それにつけても思い出すのは、ジュン・ゲバルの歌である。
板垣恵介『範馬刃牙』七巻第四十八話、アンチェインの二代目が本気になったあのシーン。
歌舞伎役者の隈取にも似た戦化粧を施しながら、声高らかに吟じたものだ。
錨を上げろ
嵐の夜に
帆を上げろ
星を標に
宝に向かえ
ラム酒はおあずけ
鉄を焼け
慎み深くをハネ返し
耐えて忍ぶを退けろ
満ち足りることに
屈するな
満ち足りないと
なおも言え
これぐらい貪欲であってこそ、男というのは清々しいのではないか。
薄味にはなりたくない。「諸君よ、男子生れて何を後世に遺す。一本の墓標では諸君も満足出来まい。僕は事業でも満足出来ないのである。どうかして、我が此の人格を、不朽の天地に残したい」。そう叫んだ石本音彦のようでありたい。
ところがそう思った矢先から、
――みんな壮志を抱きつつ平凡の群に堕して行くのだ。みんな青春を惜しみながら化石の像に隠れて行くのだ。胸底に残るのは当年の思出一つ、それさへも朝露夜露と消え去って了ふのだ。
真渓涙骨のこんな言葉が記憶の底から湧いてきて、ために骨も内臓もくたくたに押しつぶされる思いがし、机に突っ伏しそうになる。
(昔日の夕張炭鉱)
読書中にはよくあることだ。
熱情と諦観、老いと若きと。
まるでサウナから水風呂に飛び込みでもしたかのように、私の脳は過熱と冷却を急ピッチで繰り返す。
それがまたぞろ、快感なのだ。
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