穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

松尾芭蕉の辞世観

松尾芭蕉の面上に、老いの影が深くなりはじめた頃のこと。 弟子のひとりが彼に向かって、 ――今まで詠んだ句の中で、辞世にしても差支えのない名吟は幾つありや。 といった趣旨の問いを発した。 これを聞いた俳聖は、しばらくその弟子の顔をじっと見つめて、…

部屋の中のセミファイナル

三日前は蜘蛛だった。 それが一昨日はヤスデになり、昨日の晩にはとうとうセミが。 あつかましくも私の部屋に侵入してきた蟲である。 日を追うごとに、明らかに大型化しているのが見て取れるだろう。このぶんだと今夜あたり何が襲って来るのやら、考えるだに…

大正皇后の御聖徳 ―関東大震災慰問編―

――何十年かぶりに、東京からでも富士の高嶺がありありと拝めた。 古老をして斯く言わしめたほどに、地上物の一切合財を破壊し尽くした関東大震災。 大正十二年九月一日に発生したこの未曾有の災禍を受けて、時の首相・山本権兵衛率いるところの内閣は「復興…

野球に熱狂するひとびと ―戦前戦後で変わらぬ熱気―

一 戦運我れに拙くて無残や敵に屠られぬつづみを収め旗を巻き悄然として力なくいくさの庭を退(しりぞ)きし今日の悲憤を如何にせむ。 一見軍歌か何かのような印象を受けるが、これは紛うことなき野球の歌だ。 戦前、東大内部のリーグ戦に於いて不敗を誇った…

鉄道王の大激怒 ―小村寿太郎とエドワード・ハリマン―

前回、せっかく小村寿太郎に触れたのだ。 ここはひとつ、彼と併せて語られることの多いアメリカ合衆国の鉄道王、エドワード・ヘンリー・ハリマンについても語らねば、なにやら勿体ないような感じがする。 ゆえに、書こう。 (Wikipediaより、ハリマン) フロ…

小村寿太郎の評価について

いったい小村寿太郎という人物は、外交官として有能だったのか、どうか。 この疑問を解き明かすには、なるたけ多角的な視点から彼を観察せねばなるまい。差し当たってまず第一に、1905年8月10日以降、アメリカ、ポーツマスにて日露戦争講和条件の諾否をめぐ…

予期せぬ出逢い ―愛国者たち―

先日、こんな記事を書いた矢先、とんでもないものが古書の中から滑り出て来た。 何はともあれ、まず見て欲しい。 粗末なパラフィン紙に、おそらく万年筆か何かで書き付けてある。内容は、 (数文字解読不能、おそらく書き手の姓名か)義に捨身(みをすて)天…

尾崎行雄、敵愾の詩

先日の記事の補遺として、書く。 尾崎行雄咢堂は、やはり異常人であるようだ。 通常、日本人というものは、死者の悪口をあまり言わない。 死なばみな仏という意識が自然にあって、生前のあれこれは水に流そうという気分がはたらく。 ところが咢堂に限っては…

尾崎行雄と偽装大国

咢堂こと尾崎行雄が、軽井沢の別荘に起居していたころ。彼にはひとつの習慣があった。 早朝、日の出とほとんど時を同じゅうして戸外に出、浅間山の広闊なる裾野にて乗馬運動を楽しむのである。 ところがその日、いつもの日課をこなすべく玄関を出でた咢堂は…

夢路紀行抄 ―キングギドラと赤備え―

夢を見た。 死の宣告の夢である。 月報、広告、押し花、新聞紙の切り抜き等々、購入した古書の中に「何か」が挟まっていることは、私自身多く経験したことである。 しかしながら硬貨が滑り出て来たことは、今朝の夢以外では未だない。それは床に落下して、硬…

『柳樽』川柳私的撰集 ―其之弐―

里のない 女所(にょうぼう)は井戸で 怖がらせ 井戸をどうやって脅しの道具に使うのかというと、こういう次第だ。 まず、袂に重そうな石をどっさり詰め込む。 身がずっしりと重くなったところで、次に井戸の縁に腰を下ろして体を揺らし、今にも落下しかねな…

『柳樽』川柳私的撰集 ―其之壱―

日本人はユーモアセンスの欠落した民族である。そんな指摘を事あるごとに耳にするが、私はこれに賛同できない。 何故なら、川柳というものがある。 痛烈骨を刺す諷刺をたった十七文字に凝縮させて、しかも軽妙洒脱な爽快さを失わない川柳という文芸は、まっ…

不義密通の報い也 ―火刑、八つ裂き、生き晒し―

時は中世ヨーロッパ。愛妻家で知られたとある貴族は、しかし妻の浮気を知るに及んでそれまでの性情を一変させた。 彼は妻を捕らえると、その歯を一本残らず引き抜いて、治療もせずに壁の中のわずかな隙間に監禁し、そのまま死ぬまで放置したのだ。 身じろぎ…

更紗兎とチベタン・マスティフ ―投機対象の動物たち―

明治初頭の日本に於いて、天竺鼠ことモルモットが錦鯉よろしく愛玩され、異常な値上がりを見せたことは、上記の記事にて以前述べた通りである。 が、同時期に異常な値上がりを見せた生物は、ひとりモルモットのみではなかった。 兎も同様だったのである。や…

古老の教え、感傷の盆

新橋―横浜間に鉄路が敷かれ、そこを汽車が往来するようになり、その運賃が二十銭だったころの話である。 遊郭の格子先に腰を下ろして煙草をふかし、「東京」と改称されてまだ間もないこの大都市の通りを行き交う人波を、何の気なしに眺めている青年がいた。 …

「ギブミーチョコレート」の系譜

維新史で江戸がクローズアップされるのは、たいてい彰義隊騒動以後であり、それまでこの百万大都市は風雲をよそに眠りこけていたかのような観がある。 が、事実は決してそうではない。 時勢の影響は、しっかりと随所に於いてあらわれていた。 徳川慶喜が江戸…

当たり屋の先祖、文箱割り

江戸時代、京の貧乏公卿たちが好んで用いたゆすりたかりの手口があった。「文箱割り」と呼ばれる技である。 菊の御紋のついた文箱を使いに与え、市街に送り出すところからそれは始まる。使者は丹念に獲物を物色し、やがて「これは」と思った相手を見つけると…

夢路紀行抄 ―アポカリプスと乾電池―

夢を見た。 滅びた世界の夢である。『フォールアウト3』に於けるキャピタル・ウエイストランドのような、文明の痕跡がそこかしこに点在する荒野を彷徨っていた私は、やがてマンション――いや、アレは団地と呼ぶべきか――を発見。何か役立つ遺物はないかと期待…

土井晩翠激情の歌 ―黒龍江虐殺事件―

19世紀も残すところ五ヶ月を切った、1900年8月3日。 中国大陸東北地方、黒龍江にて耳を塞ぎたくなる惨事が起きた。 虐殺である。義和団事件の混乱を幸い、この機に乗じて満蒙一帯の支配を盤石ならしめんと画策した帝政ロシアの手によるものだ。 (Wikipedia…

毒の不思議な魅力について ―ストリキニーネ、及びクラーレ―

世にも不幸なその事故は、1896年、イギリスに於いて発生した。 今でいう製薬会社に勤務する一社員が、薬瓶のラベルを貼り間違えてしまったのである。 それも風邪・頭痛薬として広く用いられていたフェナセチンと、劇薬たるストリキニーネのラベルを、だ。 こ…

アトローパ・ベラドンナ ―「狂乱じみた桜桃」―

ドイツに於いてはトルキルシェ。 英語圏ではナイトシェード。 これらはいずれもベラドンナを指す語句であり、前者は「狂乱じみた桜桃」、後者は「夜の影」と訳される。 ベラドンナ。『スカイリム』のような海外の大作オープンワールドゲームにも時たま姿を現…

蛇をとる人々

ティーラーやトラクターなどの機械力が浸透する前、わが国の農耕は専ら牛や馬などの動物力に頼って営まれていた。 が、動物は機械と異なり、個体差というものが顕著である。仕様書通りの効果を発揮してくれるとは限らない。何度教え込んでもちっとも仕事を覚…

神秘なるかな隠れ里 ―三面村・後編―

※2022年4月より、ハーメルン様に転載させていただいております。 寺の壁を突き抜けて、背後の山から不特定多数の人間の叫び声が聞こえて来たのはちょうどその時のことである。 言語として意味をなさない、しかし一種憑かれたような異様な迫力を感じさせる「…

神秘なるかな隠れ里 ―三面村・中編―

※2022年4月より、ハーメルン様に転載させていただいております。 案内された小池村長の邸宅で、一行は妙なことを求められた。村長はおもむろに宿帳のような帳面を持ち出して来て、 「是非、みなみなさまの御署名を」 と頼むのである。 「村の記念にしたいン…

神秘なるかな隠れ里 ―三面村・前編―

※2022年4月より、ハーメルン様に転載させていただいております。 以前紹介した霧中衆や風波村と比較して、三面村(みおもてむら)の輪郭はかなりはっきり判明している。 新潟県と山形県の県境を為す朝日連峰の懐深く、三面川の清流ながるるその側に、かつて…

楚人冠の見た悪夢

寝苦しい夜が続いている。 日中の熱気が、夜になっても去らない所為だ。 こういう場合、普通は眠りが浅くなり、曖昧模糊な夢に浮かされるらしい。 ところが私の肉体は、どこか回路を組み間違えでもしたものか、まるで別な反応を示す。ここ最近、ちっとも夢を…

大倉喜八郎と彰義隊 ―豪胆さと高潔さ―

その日、彰義隊は一人の商人を詰問していた。 元乾物屋で、黒船来航を機に今後鉄砲の需要が高まると見抜き、見抜いた以上ははやばやと鞍替えして神田和泉通りに銃砲店を開いていた男である。 名を、大倉喜八郎。 建設、化学、製鉄、繊維、食品等々、数多の事…