明治初頭の日本に於いて、天竺鼠ことモルモットが錦鯉よろしく愛玩され、異常な値上がりを見せたことは、上記の記事にて以前述べた通りである。
が、同時期に異常な値上がりを見せた生物は、ひとりモルモットのみではなかった。
兎も同様だったのである。やはり毛色によって価格に天と地ほどの差が生じ、『更紗』と呼ばれる毛並みのものが格別珍重されたという。
『江戸は過ぎる』の篠田鑛造氏の談話の中に、その時の情景が描かれているので紹介したい。
藍の外には兎といふものが大流行で、やれ三百両の子が生まれたの、千両の子が出来たのと云って、軒並みに兎を飼はない家はありませんでした。(『江戸は過ぎる』332頁)
文中の「両」は、そのまま「円」に変換してくれてかまわない。
明治初頭の百円を現代の貨幣価値に換算すると、だいたい二百万円に相当するというから、六百万や二千万で取り引きされる兎が存在したというわけだ。正に暴騰、バブルである。
兎の儲け話で花を咲かし、兎を飼はないものは、冥利に尽きる様に
このあたりの下りから、私は仮想通貨熱最高潮期を連想せずにはいられない。
「兎を飼はないものは冥利に尽きる、運次第で一攫千金」。
「仮想通貨は貨幣の民主化、馬車からクルマへの転換に等しい革命事業」。
流行の火付け役たちが口にする文句はいついつだとて変わらない。流れに乗っかろうとしない外野連を因循姑息な馬鹿扱いし、明日にでも新時代がやって来るようなことを言う。
だが、時代の門扉は決まって重く、夥しい流血なしに開いたりはせぬものだ。
カケて貰ふのも素人は自分で行く訳でなく、大概、下女に持たせてやるのですから、どんな雄を
連日方々の待合茶屋で「兎會」の集会が開かれ、毛色や耳の形を品評し、高値を付け合い、ついには番付表まで刷り出しはじめる。
そんな空前の兎ブームを一挙に終熄させたのは、明治六年十二月、東京府が下した法令だった。
飼育する兎一羽に対し、一円の税金をかけたのである。
これを受け、兎の価格はナイアガラよろしく大暴落。誰も買い手がいなくなり、業者としても飼料がかさんで仕方ないため、そこらの河原や野の末に勝手に捨てる事例が頻発。
かつては何百、何千円の値札が付いた「商品」どもが拾い手もなくウヨウヨし、時には犬に咬み殺されて、栄枯盛衰の生きた見本を人々に示した。
動物が投機対象にされた場合、付き物の惨状といっていい。
近年ではチベタン・マスティフが、その好例であったろう。
典型的でさえある。
『動物談叢』の黒川園長によれば、長毛かつ非常に獰猛な気質を有するこの犬を、その原産地たるチベットの嘗ての権力者たちはヤクの尾毛で作った縄で繋いで、専ら番犬役に起用していたそうである。
チンギス・ハーンの遠征軍にも加わり、勇猛果敢な騎馬民族すら目を見張らずにはいられない、めざましき働きぶりを発揮した、そんなチベタン・マスティフが。
近年中国都市部で人気を博し、二億、三億、四億の値で取り引きされて、屡々世上を騒然とさせた。
聞くだに景気のいい話であろう。
「世界一高価な犬」の呼び名を恣にしたのも当然である。
ところが、ある時分をきっかけに価値は急落。現在では数万円程度に値下がりし、それでも在庫が捌ききれず、窮した業者はこの嘗ての高級品を、食肉用の販路にさえも流していると一説にいう。
あらゆるものが投機の対象となる。そして一旦投機熱が高まると、本来の価値を遠く離れて天井知らずに値が吊り上がる。
冒頭の記事にて記したこの一節を、もう一度繰り返しておくべきだろう。
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