穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

蛇をとる人々

 

 ティーラーやトラクターなどの機械力が浸透する前、わが国の農耕は専ら牛や馬などの動物力に頼って営まれていた。


 が、動物は機械と異なり、個体差というものが顕著である。仕様書通りの効果を発揮してくれるとは限らない。何度教え込んでもちっとも仕事を覚えずに、田の中でいきなり停止して、根を張りでもしたかのように不動を保ち、とろりとした眼で虚空を見つめる、そういう飼い主泣かせの馬鹿な牛とてときに居た。


 斯様な唐変木をつかまされた際の対処法として、紀州熊野に面白い手口が伝わっている。
 民間療法といってもいい。餌にマムシの干物を混ぜるのだ。

 

 

Gloydius blomhoffii

 (Wikipediaより、ニホンマムシ

 


 東海の陽ざしが燦燦と降りそそぐ熊野には、昔からマムシがかなり多い。山にも野にも、近年ではそれこそゴルフ場にも出没し、時々人が噛まれたニュースが伝わってくる。


 このどこにでもいるマムシ野郎を捕まえて、殺してから皮を剥き、内臓を取り出す。

 白いゴボウのようになったマムシの身体を竹に巻いて軒下に陰干ししておく。やがてすっかり干物として完成したら、一日あたり五分の一か六分の一を、砕いて粉にし牛の餌にこっそり混ぜる。すると、どうであろう、五・六匹分を与えたあたりで牛の眼の色に明らかな変化が起きるではないか。


 こうなってしまえばしめたもので、非常に敏感な、躾けやすい体質へと変化している。しかもこの体質変化は一過性のものでなく、これ以降マムシを与えるのをやめたとしても元のボンヤリに戻ることはないというから驚きだ。


 蛇には、そういう神秘的な力がある。


 だからこそ古来より洋の東西を問うことなく、生きたまま酒漬けにして珍重したり、甚だしいのになると毒を飲んだりする輩まで現れたりするのだろう。

 

 

Ruou thuoc 1

 (Wikipediaより、ベトナムコブラ酒)

 


 ゲテモノ食いで有名な長野県では「岡うなぎ」と呼んで古くから蛇肉を食っていたし、「蛇とり専門」の看板を掲げている店や、蛇の行商人といった職種が昭和のある時期まで存続していたと耳にする。一番美味かったのはシマヘビだとも。


 冬ごもりの前と春先の発情期とが蛇とりの旬であった。蛇とり師たちは長年の経験から獲物がどのあたりに集まるかをよく知っていて、素人目から見ると事前に飼い馴らしてあったんじゃあないかと疑わしくなるほど、容易に捕まえてまわったという。

 

 

Elaphe quadrivirgata 01

Wikipediaより、シマヘビ)

 


 戦前日本の伝説的猟師、吉村九一の『南洋狩猟の旅』にも蛇とりの記述がある。もっとも九一自身の、ではなく、地元ボルネオ人たちの狩猟風景だが。

 


 ニシキヘビ捕りの男たちは、ニシキヘビが皿を巻いてゐるときには、近づかない。ぜんまいのごとく弾力あり、飛びつく用意をしてゐる時であるからだ。遠くから、石でも投げつけると、ニシキヘビは皿をといて逃げだす。その時をねらって近づき、三四人くらゐでかかって、くび、胴、尾とおさへつけ、木のあるところへかついで行く。
 くびを木の枝にしばりつけて、くびのまはりに小刀で切れめをつけて、手を切れめに入れ、ぎゃくに引っぱる。すると、皮はつるつると、きれいに尾の端まではがれる。体は、むろん生きてゐる。まっ白い皮なしの体で、木の枝を巻きしめたまま、数日間は生きてゐる。
 西洋人たちは、このニシキヘビの皮で、かばん、靴、手さげなどをつくるのである。(『南洋狩猟の旅』17~18頁)

 

 

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 私の蛇に関する実体験は、子供のころ脱皮したアオダイショウの抜け殻を、背後からだしぬけに首にかけられた程度のものだ。下手人は、悪戯好きの同級生。当時の私が四方三里に響くほどの絶叫を上げたのは言うまでもない。


 以来、長らく苦手意識を持ち続けたが、ここらでそれを清算すべく、あの爬虫類を喰ってみるのも悪くなかろう。


 人生、なにごとも経験だ。

 

 

 

 

 


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