穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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歴史

平岡熙ものがたり ―春畝と吟舟―

まだある。 洋行を通して平岡熙が積み上げたモノは、だ。 人との縁も、彼はこのとき手に入れた。 平岡がまだボストンで、素直に学生をやっていたころ。総勢107名もの日本人が、この大陸にやって来た。 世に云う岩倉遣欧使節団のことである。 (Wikipediaより…

平岡熙ものがたり ―その血筋―

そも、平岡の家系をたどってみると、その遠祖は家康公が関八州に入府した折、江戸城御掃除番を担当していた平岡庄左衛門まで遡り得る。 「河内国に鎮座まします平岡大明神に縁因(ゆかり)ある者」 と称したらしいが、なにぶん戦国時代の話、どこまで信用し…

平岡熙ものがたり ―巾着切りか大老か―

大正帝が未だ明宮(はるのみや)殿下と呼ばれていた年少の折。 御巡覧あそばされた鉄道局にて、特に脚を留め置かれた一室があった。 その部屋には、未来(・・)が溢れていたのである。日本どころか米国にも未だ存在しないであろう、新発想の機関車・客車・…

東北地方地獄変・後編 ―末法世界―

※2022年4月以降、ハーメルン様に転載させていただいております。 …卯年飢饉に及び、五穀既に尽て千金にも一合の米も得る事能はず、草木の根葉其外藁糠或は、犬猫牛馬鼠鼬に至るまで、力の及程は取尽して食尽して、後には道路に行倒、みちみちたる死人の肉を…

東北地方地獄変・前編 ―骨の大地―

※2022年4月以降、ハーメルン様に転載させていただいております。 東北地方が定期的に地獄と化する場所というのは、以前の記事で僅かに触れた。 この土地――特に岩手・青森・秋田の三県に於ける農業は、五年のうち一年は大飢饉、二年が飢饉、残り一年が平作あ…

黒田清隆の配偶者・後編 ―小人の妬心、恐るべし―

実に多くの東京市民が、彼と、彼の邸宅に、羨望のまなざしを送ったものだ。 材木商、丸山傳右衛門のことである。 ときに「金閣寺擬(まが)い」と揶揄されもしたその屋敷の結構は、山本笑月の『明治世相百話』に於いて特に詳しい。 建坪はさまで広くないが総…

黒田清隆の配偶者・前編 ―若い娘好きの婿―

「いま、お酒を呑んでおいでですか。あなたは酔うとおかしくなる方だそうで……」 怪傑杉山茂丸が、黒田清隆と初めて顔を合わせた席で、劈頭一番放った台詞がこれである。 この薩人の酒癖の悪さがどれほど人口に膾炙されきっていたか、如実に示すエピソードに…

明治九年の奇天烈訴訟 ―250年前の負債―

時代そのものの転換期――社会の基盤未だ軟けき文明開化の昔時には、ときに思いもかけない人間の珍物が飛び出してきて、世間をアッと言わせたものだ。 元田直(なおし)も、そのうちの一人に数え入れていいだろう。 (Wikipediaより、元田直) 明治九年、代言…

女王の帰還 ―藤山勝彦の記録より―

あるとき、船が難破した。 英国籍の船だった。 婦女子たちを誘導し、ボートを与え、沈みゆく船から避難させると、船員一同、甲板上に整列し、そのまま船と運命を共にした。 「泳げと命じたいが、そうするとボートにつかまりたくなる者が出るかもしれない」 …

鴻之舞金山と中村文夫 ―草創期の記憶―

北海道、オホーツク海沿岸部の原生林が燃えだしたのは大正元年のことである。 (Wikipediaより、北見神威岬とオホーツク海) なにぶん、108年も前の話だ。当時の消火能力などたか(・・)が知れている。一度広がってしまった山火事は容易に消えず、消えるど…

第二次ボーア戦争奇譚 ―マキャベリズムの権化ども―

ボーア戦争に先駆けて、ランズダウン卿が行った演説ほど世間を呆れさせたものはない。 イングランド中部、シェフィールドの地に於いて、彼はこう呼びかけたのだ。 「トランスヴァール共和国の失政の内、インド人に対する待遇以上に、余をして公憤を感ぜしむ…

イギリスの移民排斥術 ―白濠主義を支えたもの―

同じ移民排斥にしても、アメリカとイギリスでは遣り口が違う。後者の方が仕掛けに凝って、狡猾だ。 玄人芸といっていい。 1901年、オーストラリア初代首相、エドモンド・バートンの治下に於いて制定された移民法案がいい例だ。彼らはこの法案中で、「ヨーロ…

ルール占領への序曲 ―逸るフランス、イギリスの老獪―

これもまた、ヴェルサイユ条約が生んだカオスだろうか。 ドイツ、ラインラント一帯に不穏の状あり。共産主義者が労働者を煽動し、エッセン、ドルトムント、ミュールハイム等々の諸都市で蜂起、同地を瞬く間に占領下に置いてしまった――1920年3月の「ルール蜂…

危機に臨んで ―イギリス、日本、中華民国―

中華民国時代、上海に「赤匪」――共産党の騒擾事件が起きたとき。 この狼藉者の集団がひとたび居留地を襲う形勢を示すや、そこに住まう人々は、大事な命と財産を、屠殺される豚のようにむざ(・・)と奪われてなるものかと大いに発奮。互いに人数を出し合って…

斬奸状見物録

今日も大気が濡れている。 こう、来る日も来る日も湿度が高いと段々やりきれなくなってくる。水っ気が脳味噌にまで浸潤し、頭蓋の中で白っぽくふやけてしまった心地がするのだ。 夜半、耳を聾する風の音で寝入りが妨げられたこともあり、どうにも集中力が低…

検疫小話 ―最後の長崎奉行の記憶―

前回、前々回と検疫について触れてきた。 折角だからもう少しだけ、この話を広げてみたい。 安政年間のコレラ大流行を目の当たりにして、よほど肝を冷やしたのだろう。わが国に於ける検疫の歴史――海外から来航する船舶への防疫措置に関しては、実のところ明…

尾崎行雄遭難記・後編 ―前代未聞の入国景色―

尾崎行雄がロンドンから本国の知人に向けて書き送った手紙の中に、次のような一節がある。 拝啓光陰人を待たず、無遠慮にサッサッと馳せ行き候は驚入申候。小生東京を放遂せられ尋て欧米漫遊の途に上れるも、既に一年の旧夢と相成候、夜深人定まるの後ち静か…

尾崎行雄遭難記・前編 ―痘瘡・チフス・大嵐―

『尾崎行雄全集 第三巻』を入手した。 目下、これに収められているところの『欧米漫遊記』を読み進めているのだが、これがまた活劇のように面白い。 なにせ、初っ端から咢堂の船が沈むのだ。 順を追って話すとしよう。 平素の言動――東京を火の海にする、とい…

続・明治鉄道物語 ―鉄路を支えた木について―

日本に鉄道ブームが起きたのは、明治の中ごろに於いてであった。 撮ったり乗ったりする方ではない。敷設事業が、流行りに流行りまくったのだ。 その嚆矢は、日本鉄道会社が務めた。東京と青森を鉄道で繋ぐ――世にもきらびやかな大目標をぶちあげて、明治十四…

ポーツマス条約うらばなし

ロシアからウィッテが来ると聞いたとき。合衆国大統領セオドア・ルーズベルトは知己である金子堅太郎に向かって、 「日本からは伊藤博文を出すべきだ」 と忠告したとのことである。 幾度となく内閣総理大臣を務め上げ、現在でもなお枢密院議長という立場に納…

日本の暗号、5000フラン

日本の機密はよく漏れる。まるで老朽化した水道管さながらのダダ漏れぶりだ。中でも暗号に至っては、まるで破られるために存在しているような向きすらあろう。 大東亜戦争でも、ワシントン会議でも、日露戦争の時点に於いてもそうだった。一握りの高官しか知…

安政の大獄前夜譚 ―腥風―

その日(・・・)に先立ち、堀田正睦以下幕府側の面々は乾坤一擲の大勝負に出た。 もはや通常のやり口では条約勅許の一件を引き出すことは不可能と断じ、思い切って極論をぶつことにしたのだ。 具体的には、ここで条約を拒否しようものならたちまち戦争、国…

安政の大獄前夜譚 ―九条関白の変節―

結果から先に言ってしまえば、堀田正睦は敗北する。 必死の周旋もとうとう実を結ばずに、林大学頭と同様、空手で京を去らねばならない破目になる。 しかしながらそこに至るまでの道筋は、決して平坦なものでなく、紆余曲折、起伏重畳せしものだった。 ある時…

安政の大獄前夜譚 ―京の魔窟化―

幕府が如何に上方を軽視しきっていたかについては、勅許もまだ得ていないのに、いそいそと条約調印の日取りを決めてしまっていたという、この一事からでもよくわかる。 彼らにしてみれば、それは規定事項以外のなにものでもなかったのだ。 ――長袖者流ふぜい…

安政の大獄前夜譚 ―安政か、「闇政」か―

タウンゼント・ハリスがアメリカ合衆国を代表し、江戸城本丸表向の大広間で徳川家定と対面したのは安政四年十月二十一日のことである。 それに先立ち、幕府要路の人々は、この一件が内(・)に齎す衝撃度合いを考慮して、なんとかそれを最低限に押し止めんと…

安政の大獄前夜譚 ―アロー戦争が日米修好通商条約に与えた影響―

※2022年4月より、ハーメルン様にも投稿させていただいております。 黒船来航から安政の大獄に至るまで、歴史の経過を指でなぞるようにたどってゆくと、つい直弼への同情心が押さえ難く湧いてくる。なるほどこれは、弾圧したくもなるわけだ、と。 それほどま…

実験動物物語 ―ウサギ、梅毒、狂犬病―

梅毒の研究には、主にウサギが充てられた。 むろん、実験動物としてである。それもただ病原体を射ち込んだだけではうまく感染しないから、態々睾丸に注射する。 想像するだに血の気の引くような話だが、それでもまだ狂犬病の実験に使われるよりかはマシだろ…

迷信百科 ―祈祷と疫病―

わが 大八洲(おおやしま)に天然痘が入って来たのは、未だ物部だの蘇我だのが権力闘争に明け暮れていた飛鳥時代。仏教の伝来と、ほぼ重なるとされている。 この病を罹患した人間の苦しみというのは筆にも舌にも尽くし難い、一種惨烈なものがある。人が、生…

膵臓小話

胃の裏側に横たわるカズノコみたような形の臓器を、杉田玄白以下蘭学者たちはまず初め、「大機里爾(だいキリール)」と銘打った。 機里爾とは、すなわちKlier。オランダ語で「腺」を意味する言葉である。 この器官の主要目的がアルカリ性消化液の分泌と、血…

映画浄化十字軍 ―ヘイズ・コード成立奇譚―

自由の国とは言い条、アメリカでは時として、とんでもなく馬鹿げた規制が罷り通るものらしい。 悪名高き禁酒法のあの時代、大激動に見舞われたのは独り酒精関連でなく、映画業界も同様だった。「映画浄化十字軍」なる大仰な名前の運動が、ローマ・カトリック…