ロシアからウィッテが来ると聞いたとき。合衆国大統領セオドア・ルーズベルトは知己である金子堅太郎に向かって、
「日本からは伊藤博文を出すべきだ」
と忠告したとのことである。
幾度となく内閣総理大臣を務め上げ、現在でもなお枢密院議長という立場に納まり、政界表裏に隠然たる影響力を担保し続ける、まさに百戦錬磨の古強者。そんな重鎮を乗っけなければ、とても天秤が釣り合わないと――。
(Wikipediaより、金子堅太郎)
この一事を以ってしても、ウィッテがどれほどのやり手であるか、政治家としての練達ぶりがだいたい伝わって来るだろう。
が、結局講和条約談判のため、日本政府が派遣したのは小村寿太郎という男。
いや、小村は小村で、決して無能漢では有り得ないのだ。能吏と呼ばれるだけの力は十分以上に具えていたろう。
だがいかんせん、この場合はウィッテが有能であり過ぎた。
相手が悪いというヤツだ。両者の力量の隔たりは、アメリカに着いて早々、無惨なまでに露呈した。
具体的には、新聞記者への対応である。
タラップを降りるや雲霞の如く押し寄せてきた彼らに対し、ウィッテは巨大な笑顔と化してふるまった。この出逢いを心から喜んでいるとしか思えない打ち砕けた態度で付き合い、差し出された手は欠かさず握り、その間少しも尊大ぶらない。
そのことは市内に入っても変わらなかった。
宿泊するホテルの従業員、乗り込んだ汽車の車掌などに対しても、ウィッテは挨拶を欠かすことなく、ときに肩まで叩いたりして、まるで同輩に接するような姿勢を見せた。
(Wikipediaより、セルゲイ・ウィッテ)
その彼が、ひとたびルーズベルトに接見するやどうであろう。
ロシア側が覚悟している譲歩はいったい如何ほどか、大統領がそれとなく水を向けて探ってみると、果然ウィッテは愛嬌の総てを引っ込めて、傲岸に胸を膨らまし、
「土地は一寸も譲らず、償金は一銭も支払わず」
直截に言い切ってのけたのだから驚くしかないではないか。
(これは難航するぞ)
との見通しを、ルーズベルトは抱かずにはいられなかった。
断乎たる決意を籠めたこの発言は、合衆国の民衆に別な効果を齎しもする。
「ウィッテというロシア人は、あれは単なる
一本筋の通った、硬骨な部分を持っている――そのように感じさせたということだ。
実際ここでもルーズベルトの表情を窺い、機嫌をとりもつことに汲々とするようならば、世間は彼に軽薄な印象を抱かざるを得ないだろう。世辞ばかり上手い、卑小なおべんちゃら野郎に過ぎぬと。
このあたりの難しさを、ウィッテは見事に切り抜けた。彼は自分の愛嬌から嫌味を抜くことに成功し、アメリカの「好意」と「尊敬」、その両方を瞬く間に掌握せしめた。
(Wikipediaより、セオドア・ルーズベルト)
何より決定的だったのは、談判の最初期段階で小村相手に提案した、会議のフルオープン化だったろう。『回想録』に曰く、
談判の初めに、予は全権大使として、飽く迄公明正大でやり通す積りである、従って、世界に知られて悪いやうな秘策や、密謀を抱いてゐないから、会議を、新聞記者に公開しやうといふ提議を出してやった。
無茶苦茶にも程がある物言いだろう。
むろん、小村が諾と言おうはずもない。この生真面目な小男はウィッテの言葉を馬鹿正直に受け止めて、にべもない態度で峻拒した。
――その構図こそ、真にウィッテが欲していたものであると気付かぬままに。
再び『回想録』から引用すると、
案の条小村は、この提議に反対して、総ての会議を秘密にすることを主唱した。この事実が知れ渡ると――実は予が漏したのだが――新聞記者は、胸に一物ありげな、小村の態度を、忽ち怨み、且つ憎み出した。
以前にも述べたが、回想録という性質上、これら総てを鵜呑みにするわけにはいかない。
自分にとって都合よく脚色するのがごく当然であるからだ。
が、ウィッテ到着後のアメリカ世論の大変動に関しては、同時期かの地で事態の推移を見守っていた金子堅太郎その人も、
彼は頻りに新聞を操縦して日本に反対せしめたるに依り談判の始まる前までは新聞記者の九割は皆親日なりしが忽ち翻へりて親露となりたるもの九割と変転し明日は談判破裂するか、明後日は全権委員が帰るかと云ふので、ポーツマスでは「破裂々々」と云ふ評判が高く、其新聞の号外がどんどん紐育に配布せらる。(昭和四年『日露戦役秘録』263~264頁)
このようにはっきり認めている点、かなり事実に即しているのではなかろうか。
ウィッテが小村寿太郎を評した中に、次のような一節がある。
小村は新聞政策を全然閑却してゐた。米国で教育を受け、よく米人気質を呑み込んでゐる彼としては、如何にも不似合ひなことだが、彼はどこ迄も新聞記者を忌避し、事実の大部分を隠蔽することに努力した。予は敵手の無思慮に乗じ、小村の人格と立場とを、不利ならしめることに努力した。
要するに小村はあまりに人が好く、奸智なるウィッテの張り巡らせた罠という罠、その悉くにみずから進んで入っていった。――まるで折角用意してくれたものを、無駄にしては心苦しいというように。
同様の構図は以後幾度となく繰り返される。「戦争に勝って外交に敗ける」というのが日本の、ほとんど体質のようになってゆき、やがてどうにもならない泥沼へ、この国を追いやる一因を成すのだ。
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