穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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尾崎行雄遭難記・後編 ―前代未聞の入国景色―

 

 尾崎行雄がロンドンから本国の知人に向けて書き送った手紙の中に、次のような一節がある。

 


 拝啓光陰人を待たず、無遠慮にサッサッと馳せ行き候は驚入申候。小生東京を放遂せられ尋て欧米漫遊の途に上れるも、既に一年の旧夢と相成候、夜深人定まるの後ち静かに往事を回顧すれば、夢の如く幻の如く、一つとして当初の計画通りに成り行ける者はなし。(『尾崎行雄全集 第三巻』344頁)

 


 蓋し実感の籠った記述であろう。


 横浜港を離れたときは、まさか自分の乗り合わせた船が疫病の巨大な坩堝と化して――相次いだ嘔吐の症状は案に違わずチフスであった――、二週間以上の海上待機を強いられるなど、夢寐にも描いていなかった。


(サンフランシスコを目前にしながら――)


 胃の腑の底を炙られるような焦燥の日々を送っている。


 元々尾崎行雄とは、エネルギー体腔に充満し、そのため常に行動を欲し、もし行動せずんばたちまち自家中毒に陥って、欲求不満の黒煙を全身の毛穴という毛穴から吹き上げかねまじい人間だ。


 だからこそ94歳まで現役の政治家で在り続けるなどという破天荒な記録を打ち建てられもしたのだろうが、それだけにこのときの苦しみは大きい。


 二月三日の夜もまた、悶々とした気持ちを抱えながら寝に就いた。

 

 

Ozaki Yukio

 (Wikipediaより、晩年の尾崎行雄

 


 このとき天には一片の雲も認め得ず、星々燦と輝いて、鎮まりきった海面は、恰も一枚の明鏡の如しで、船客たちは深更まで楼上に留まり、その幽玄なる景観中に身を浸らせることにより、溜まりに溜まった鬱懐を多少なりとも解消させていたという。


 誰一人として、翌日の晴天を疑う者は居なかった。


 ところが尾崎が目を覚ましてみるとどうであろう。Alice Garrattと名付けられた三階つきのこの船は、早暁より猛烈な風雨に襲われて、まるで太平洋のど真ん中にあるかの如く動揺している。


(なあに、大したことはない)


 が、尾崎は平気の平左であった。これは彼に限った話ではなく、船内に共通した雰囲気で、「既に一箇月余り一歩も陸地を踏まず水上に起臥せる人々にしあれば別段の不快を感ぜず尋常一様の事と想ひ做し」――早い話が慣らされて・・・・・いた。


 誰も彼もいつものように朝めしを喰い、尾崎に至っては口を拭うやソファーにでんと横臥して、何人かの英米人と煙草をくゆらし、談笑に耽るという余裕である。

 

 

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 文字通り風向きが一変したのは、午前十時ごろのこと。


 船員の往来にわかに激しく、血相を変えたその有り様に何事にやと勘繰るよりもなお早く、船長の怒号が響き渡った。


「甲板に出づべし」と、どうやらそのことを繰り返し叫んでいるらしい。


(こはいかに)


 命令に従い、甲板に出で、横殴りの雨を冒して欄干の向こうを覗いた尾崎は、久方ぶりに吃驚した。Alice Garrattはいつの間にやら本来の碇泊地点を遠く離れ、サンフランシスコ港のドッグ、その二三メートル手前まで接近しているではないか。


(これほどの嵐だ)


 事ここに至っても、尾崎は未だ事態がコントロール下にあることを疑っていない。


 つまり、「小生は暴風怒涛の災を避るが為め止むを得ず検疫規則を犯して波止場近くに寄りたる事とのみ」考えていた。


 が、不幸なことに西洋科学文明は尾崎が信頼を寄せるほど万能ではない――少なくとも、この時点では、まだ。


 実はこのとき、船は錨を嵐のために鎖の部分で切断されて制御を失い、飾らずに言えば漂流状態に陥っていた。


 数秒後の座礁を、船長以下人力ではもはや如何ともすることならず。

 

 俄然Alice Garrattの船体は波止場に激突、尾崎がこれまでの人生で聞いたことのない異様な響きを立てながら、左舷中央あたりが裂壊した。

 

 

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「沈没するぞ」


 この種の叫びは、嵐の中でもよく通る。


 恐怖はたちまち伝染し、甲板は悲鳴で以って満たされた。


 しかしこういう土壇場で、逆に胆が据わるのが尾崎行雄という男であろう。


 何しろ彼は数十年後、皇国史観真っ盛りな昭和の御代で、

 


逆賊尊氏にすら、勝つことの出来なかった楠公神社に、戦勝を祈願するなどは、元来無理な注文ではあるまい乎。(『咢堂漫談』398頁)

 


 こんなことを誰憚りなく書いてしまう人物である。


 度胸がいい、どころではない。この発言ひとつで下手をせずとも極右に暗殺されてもおかしくなかった。


 私は尾崎の政論すべてに同意を示すものではないが、みずからの発言に命を懸けるこの姿勢には、心底敬意を払わずにはいられない。

 


 ――そんな尾崎が。

 


 我を失い、ドタバタと見苦しく振る舞うことなど、どだい有り得ぬ話であった。

 

 

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「先づ貴女数名を逃れしめたる後ち」、尾崎自身も頃やよしと見計らい、ひらりと甲板から飛び降りている。一瞬の浮遊感、しかして彼の肉体は、これといった怪我もなく無事サンフランシスコの波止場の上に立っていた。


 荷物は口に咥えたままにしていた煙草一本。明治人多しといえど、斯くも劇的な「入国」ぶりを達成したのは尾崎行雄ひとりであろう。この男の歩む先、つくづく平坦な道は用意されていないらしい。

 

 

 

 

 


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