穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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迷信百科 ―祈祷と疫病―


 わが 大八洲おおやしま天然痘が入って来たのは、未だ物部だの蘇我だのが権力闘争に明け暮れていた飛鳥時代。仏教の伝来と、ほぼ重なるとされている。


 この病を罹患した人間の苦しみというのは筆にも舌にも尽くし難い、一種惨烈なものがある。人が、生きたまま人としてのカタチを失ってゆくのだ。むごたらしいにもほどがあるその光景を目の当たりにして、人々が思うことは一つであった。


 ――神々の祟りに違いない。


 仏教などと云うつ国の、わけのわからぬ教えをありがたがったばっかりに、真に敬うべき高天原の怒りを買った。結果神罰が下されて、こんな様になっている――そう信じた人々は先を争うようにして寺院の中から仏像・仏具を強奪し、難波の海に投げ込んだ。


 神よこれにて怒りを鎮めまいらせたまえと祈念しながら。

 

 

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 悪疫を前にしての悲愴とも滑稽ともつかぬ現象は、安政五年コレラが大流行を来した際の江戸に於いても起きている。


 虎列拉とも書くこの悪疫を、不幸にも罹患してしまった人物は、あたかも自分が一個のポンプに化したが如き錯覚を抱く。吐くにしろ下すにしろとにかくその勢いが猛烈で、「滝のような」という表現が少しも過大にあたらない。


 患者の体内の水っ気はあっという間に枯渇して、皮膚はみるみる皴だらけになり、いわゆる「洗濯人の手」を呈す。


 火事と喧嘩はお江戸の花よと威勢のいいこと比類なき、江戸っ子たちもコレラにばかりは流石に参った。彼らはこの病魔の由来を、浦賀に黒船で乗りつけやがった例の紅毛野郎共が持ち込んだに相違ないと決めつけて、妙ちくりんなオマジナイを開始した。


 木船を拵え外国人の人形を乗せ、男衆に担がせて、銅鑼を叩いて法螺貝を吹き、幣を振りつつ街から街へと練り歩き、最終的にはこれを海へと流させたのだ。

 

 

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 以上の二つは時代意識相応の所作と看做していいものであり、これといって批難するには及ばない。


 しかしながら次に掲げる、満洲に於いて展開された情景だけは、少しばかり毛色が違う。


 なにせ、昭和の聖代だ。


 場所は伊藤公の暗殺されたハルビンにほど近い、阿什河の流れるところ。昭和九年以来、ここに天理村という、日本人の移民集落が存在していた。


 名前が示すそのままに、天理教徒が主幹となって建設された村である。

 


…これは団体の本部から金も比較的多く寄附され、ハルビンといふ大市場を近くに控へ、且つ匪賊の被害も殆んどない地方のために成績がいいと伝へられてゐるが、移民の稼いで得た金の一部は教団に献げねばならず、且つ病人が出れば、医療を講ぜず、絶対に信仰の所為に帰し、加持祈祷式な方法によってのみ癒さうとし、附近の満人村民にもその一手で布教しようとする。そのため、日本人はもっと文化国民かと思ったら、吾々よりも未開な原始的方法をとってゐると満人達の蔑む所となってゐると聞いた。(長與善郎『人世観想』122頁)

 

 

Oyasama's Residence

 (Wikipediaより、天理教教祖殿)

 


 物笑いの種としかいいようがない。


 こんなことで日本人の声価を落とす破目になるとは、泉下の児玉源太郎もさぞかし顔を顰めただろう。


 なんとなれば満人たちの教化活動を最初に始めたのは彼だからだ。日露戦争の真っ最中、皇軍鴨緑江を渡ったとの報せを受けるや、あの小男は直ちにイギリス東インド会社の事蹟の調査に力を入れた。


 やがて黒板、ノート、鉛筆、石盤等々――「学用品」を満載した陸軍御用達の船舶が、日本海を漕ぎ渉る。


 時あたかも旅順要塞攻囲戦が熾烈の極みに達しつつあった候であり、一人でも多くの兵士を、一発でも多くの弾丸をと懇望されていた節であり、船舶の需要が極限まで高まった局面であり、そんな悠長な真似は後回しにしろ馬鹿野郎と殺到し来る批難の声を押し切ってまで出航された船だった。


 杉山茂丸とつるんでいただけのことはあり、児玉源太郎の発想は目前の現実に縛られることなく、常に一定の高度を確保し続けていたようだ。支那から満州を切り離し、独立国家に導くことで、やがてはロシアとの緩衝地帯ならしめる。満州国の構想は、この時点からもう既に、朧ながらも陸軍内部に蒔かれていたのではなかろうか。


 ――そんな児玉だからこそ。


 いざ満州国が出来上がってから後に、そこで展開された天理教徒の時代錯誤な行為に対して、苦情をねじ込む資格というのがあったろう。

 

 

Grave of Gentaro Kodama

 (Wikipediaより、児玉源太郎の墓)

 


 今回のコロナ禍を通じても、改めて実感させられたところであるが、病というのは本当に、迷信のよき土壌となるものだ。


花崗岩に強力な殺菌作用が云々」のデマに釣られて、そのあたりの河原にでも転がっていそうな薄汚い石ころに何千円という値がついて、ネット上で売り買いされた一件なぞは、今後末永く語り継がれるに違いない。

 

 

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