穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

安政の大獄前夜譚 ―腥風―


 その日・・・に先立ち、堀田正睦以下幕府側の面々は乾坤一擲の大勝負に出た。


 もはや通常のやり口では条約勅許の一件を引き出すことは不可能と断じ、思い切って極論をぶつことにしたのだ。


 具体的には、ここで条約を拒否しようものならたちまち戦争、国破れて山河ありの憂き目を見る破目になるぞと脅しつけてやるべきだろう。

 

 

Looting of the Yuan Ming Yuan by Anglo French forces in 1860

 (Wikipediaより、英仏軍による円明園の略奪)

 


 そのような趣旨に基いて、彼らは意見書をしたためた。

 


永世安全に叡慮を安んじ奉らんには和親を修せざるべからず。国体を傷けず、後患をのこさざらんには戦争を避けざるべからず。若し防禦の策あらば一戦固より辞すべからず。ただ防禦の方策なし、故に幕府和親を結びて貿易を許さんと欲す。

 


 外夷相手に、現状ではとてものこと勝ち目がない、だからせめて勝ち筋が見えるようになるまでの間、表面上は彼らと握手し、友好的に振る舞うべきだ。


 そうして結んだ関係性から技術を吸い上げ、国力を養い、いつか主導権を取り戻す。


 きわめて正確な現状認識であったろう。論理展開も滑らかで、まずまず名文といっていい。

 


然るに朝廷通商を不可として条約を結ぶを許さず。条約を結ぶを許さざらんか日米条約の草案は廃棄せざるべからず。この草案を廃棄せんか、彼は必ず武力に訴ふべし。我に兵器なく、軍艦なく、何の術を以て之を防がん。一敗地に塗れんか、城下の盟を結ばんこと固より免るべからず。

 

 

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(少々、悲観的に過ぎまいか)


 そんな危惧が一瞬脳裏によぎったが、堀田はすぐに気を取り直した。


(ここまで言わねば、あの連中にはわからないのだ)


 川路聖謨岩瀬忠震のような当代きっての英才たちが日夜東奔西走し、血を吐くような必死さで勧説しても糠に釘、蛙の面に小便でてんで響かぬのが殿上人という種族である。


 この連中にわからせるには、いっそのこと考え得る限り最悪の未来図を突き付けてやるしかないであろう。更に続けた。

 


割地又避くべからず、償金又拒むべからず。是に至りて国体を傷け、後患を貽さん。此眼前の安全すら保つ能はずして、何ぞ永世の安全を計るを得んや。

 


 アヘン戦争に敗れた清国の二の舞になるぞと警告している。


 あの敗北で清国は香港を失い、2100万ドルの賠償金を背負わされ、片務的な最恵国待遇を強いられる等々、およそ惨憺としか言いようのない目に遭った。


 第二次アヘン戦争の名でも呼ばれるアロー戦争についても、ほぼほぼ趨勢は決しきり――むろん清国の敗北という形で――、天津条約の成立は日に日に近くなっている。

 

 

Signing the Treaty of Tientsin

 (Wikipediaより、天津条約)

 


 そのこともまた、堀田を焦らせる一因だったに違いない。


(習性として、公卿は戦火を恐れるものだ。この薬はきっと効く)


 ところが事態はまたしても、堀田の期待を裏切った。尊攘派はとうの昔に、日本で一番戦争を恐れているのは実のところ幕府であると見抜いていたのだ。よって堀田の態度をむしろ奇貨とし、逆ねじを喰らわせてしまう算段を立てた。


 その目論見が成就したのが、件の三月二十六日である。この日下された勅諚をひらくや、堀田は絶句し、雷に打たれたような表情のままで固まった。

 


去る二十二日書取の趣、言上に及び候処、今度の条約とても、御許容遊ばされ難く思召し候。

 


 貴殿の意見は委細違わず伝えたが、やはり今度の条約について、朝廷では認められないとの結論に達した。

 


衆議中、自然事差縺れ候節は、先件の御趣旨を含み、精々取鎮め談判の上、彼より異変に及び候節は、是非なき儀と思召され候。右叡慮の旨相立ち候様頼み思召し候間、宜しく差含み、御取計ひ有之べく候。

 


 そのことについて、もしアメリカ側がグダグダ文句をつけて来て、戦争をふっかけて来るようならば、仕方ないので覚悟を決めてしっかりやれ。それでこそ幕府の存在意義を全うできるというものだろう――。

 

 

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(国が亡びる)


 今戦っても勝てないという堀田の必死の諫言は、まるきり無視される形となった。


 彼の心中、如何ばかりか。


 ほとんど気死しかけたといっていい。


 やがてその衝撃から立ち直ると、堀田正睦は血走った眼で筆を取り上げ、江戸に向けて一通の書をしたためる。翌日岩瀬忠震をして運ばしめた、その内容は以下の通り。

 


京地の模様、過日申上候通り、追々差縺れ何分穏かならず、実に堂上方等正気の沙汰とも存ぜられず、嘆息仕り候。此上は篤と御談合、時勢至当の御処置御座なくては、容易ならざる儀に相成るべしと心配仕り候。定めし種々風説等御聴込み、其の中には事実相違の儀も之あるべしと存じ奉り候。右等の処岩瀬肥後守能く心得居り候間、委細御尋問下され、御疑惑なく、早々御取調の程希ひ奉り候。余り憂苦に堪えず候間、不敬の至に候へども、赤心残らず申上候。

 


 これを書いている堀田正睦の精神状態、もはや尋常一様の域でない。


「堂上方等正気の沙汰とも存ぜられず」――朝廷は気狂いの群れに占領されたと喝破して、そのすぐ後に要求している「時勢至当の御処置」とは、いったい何を意味しているのか。


 決まっている。舌と金を駆使しての、タタミの上の戦争に敗れた者が、それでも己が意を貫き通さんとした場合、頼りにするのは一つしかない。


 すなわち、純然たる武力。開国に異を唱える馬鹿公家と、彼らの影でチョロチョロ蠢く目障りな自称「志士」どもを、強引に力づくで排除してしまえと言っているのだ。


 この構想はそのまま井伊直弼に引き継がれ、苛烈さを十倍も加味されたのち、安政の大獄として成就する。

 

 

Ii Naosuke statue at Kamonyama park

 (Wikipediaより、井伊直弼像)

 


 が、このときはまだ幕府内に、そこまでの飛躍に打って出る思い切りが存在しない。


 むしろ堀田に帰東を促す挙に出たがため、


「たとへ死すとも、この解決を告げざる間は滞京する」


 という以前の見栄を忸怩たる思いで反古にして、四月五日、ついに堀田は京を離れた。


 ――勝った。


 尊攘派の得意は言うまでもない。

 

 

言訳のならぬ東の八重桜
けふ九重にしほれぬるかな
 
松かれて牡丹はしぼむ藤は咲
蘭のにほひは日々に芳ばし
 
江戸方のぼたんは藤にからまれて
とふ将軍は葵かほつら青い顔面
 
 

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歌川広重 「京都名所 あらし山満花」)
 

 得意満面、鼻高々の代償を、やがて彼らはみずからの血で支払わされる。

 その流血を彼らに強いた「井伊の赤鬼」直弼もまた、桜田門外で暗殺団に首を上げられ、腥風吹きすさぶ「幕末」の世の到来を日本中に告げるのだ。

 まこと、歴史は血で記される

 新時代への道程は、常に夥しい血痕で覆い尽くされているのだ。
 
 
 


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