あるとき、船が難破した。
英国籍の船だった。
婦女子たちを誘導し、ボートを与え、沈みゆく船から避難させると、船員一同、甲板上に整列し、そのまま船と運命を共にした。
「泳げと命じたいが、そうするとボートにつかまりたくなる者が出るかもしれない」
という船長の言葉に従って、粛々と水底へ逝ったのだ。
サミュエル・スマイルズが『自助論』中に引用している逸話である。
(Wikipediaより、サミュエル・スマイルズ)
(まさか)
このエピソードに触れたとき、果たして信じていいのかどうか、随分悩んだものだった。
斯くの如き窮境に置かれた集団が最後まで統制を保つだなどと、ちょっと人間性の限界を超えてやしないか。後世から都合よく脚色というか美化された部分が、少なからずあるはずだ。……
我ながら根性がひねくれている。
が、ファーンボローの一件などを通じて英国人の国民性に触れるにつれて、
(あるいは?)
あの連中ならやりかねないんじゃなかろうかという方向に、私の心は傾きつつある。
大日本製糖株式会社副社長・藤山勝彦の旅行記も、そうした私の「偏り」に一層の拍車をかけたものだろう。
国際砂糖会議に出席するためロンドンへ飛んだ藤山は、折角の機会だ、歴史ある古都を堪能しなくば勿体ないと観光に於いても余念がなかった。
その夜も彼はとある劇場を訪れて、十一時半の終演までたっぷり舞台を楽しんだ。
外に出ると、小雨で大気が濡れている。
(ついていないな)
うすら冷たい闇の中、水たまりを避けながらホテルへの帰路を辿っていると、その途中、バッキンガム宮殿へと続く大路で思わぬ光景に出くわした。
人、人、人――道を埋め尽くす夥しい人間の群れである。
(バッキンガム宮殿)
「この行列はなにごとだ」
不審に思って、勝山は訊ねた。
「明日の午後三時に女王がこの道路を通られるので、みんな徹夜で待っているのだ」
「なに、三時――?」
十五時間以上も先ではないか。
ここで言う女王とは、むろんエリザベス2世のこと。2020年現在でも英連邦の元首として依然変わらず君臨している、エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザーその人に他ならない。
冠を継いでそう間を置かず、彼女は旅路についている。
英連邦を構成する諸国巡歴の旅路に、だ。藤山勝彦の訪英は、奇しくもその最終盤。ジブラルタルから軍艦に乗り、本国へ帰るその秋に、たまたまこの男は居合わせていた。
幸運としかいいようがない。
新聞は連日女王の記事で埋め尽くされ、「女王の時代は国が栄える」という古くからの言い伝えを当国人が如何に堅く信奉してるか、大いに啓蒙された藤山だったが、
(まさか、これほどの熱狂ぶりとは――)
悪天候の中、徹宵してまでその帰還を待ちわびるとは、まだまだ甘く見ていたと痛感せざるを得なかった。
さて、その翌日、帰航した軍艦からヨットに移られ、テムズ河をさか上り、ウェストミンスターに上陸されたわけだが、河岸は勿論、道路は昨夜からの群衆でいっぱい、うしろの方の人は、とても女王のお顔は拝めないが、それでも前の人の頭越しに手を振り、お疲れで少し痩せられてはいるが、御無事で帰って来られたのを祝し、あの冷静なイギリス人が人目をはばからず、抱き合って泣いてよろこんでいた。(『財人随想』297頁)
(Wikipediaより、戴冠時の女王夫妻)
左様、あの冷静なイギリス人が。
目の前で戦闘機が墜落し、30名弱の死人が出ても決してパニックに陥らず、早山洪二郎をして心の底から驚嘆せしめた鈍重・無神経な国民が、こと王室に限ってはどうであろう。
畳針を突き立てられてもビクともしない分厚い面皮を髪の根まで朱に染めて、ほとんど幼児に戻ったように明け透けに、身も世もなく熱涙をこぼして感泣するのだ。およそ不合理極まりないが、こういう損得勘定だけでは割り切れないある種の前時代性を濃厚に残していればこそ、
陰険で、
腹黒で、
舌を三十枚も持ち、
自分たちの利益のためなら世界をどれほど混乱させても頓着しない、
エゴイズムの権化のような集団だと揶揄されながらも、
どこか憎みきれない、妙な尊敬を向けられもする、彼ら
(なんという差だ)
藤山勝彦はまた一方で、わが国に於ける皇室の扱いを思い出し、眼前の光景と密かに比べ、暗澹たる思いに憑かれてもいる。
先の引用は、こう続くのだ。
こうした事実を見ても、イギリス人が、皇室を中心とした生活態度を、今も昔も変わらず持ちつづけているかという事がわかるであろう。
日本も皇室中心という点で、イギリス人と共通しているようにいわれるが、敗戦後の変りようはあまりにはげしく、現在ではとうてい共通点は見出せない。(同上)
思い返せは、本書が出版された昭和三十年といえば、新左翼運動華やかで、マルクス教の信者どもがそのお題目たる暴力革命実現に向け、いよいよボルテージを上げていたころ。
アカにとっては天皇制など当然踏みつぶしてゆくべきもので、そのアジテーションを誰憚りなくぶちまくっている以上、なるほど確かに英国との共通点を見出すことなど不可能だったに違いない。
大日本製糖はやがて明治製糖と合併し、大日本明治製糖と改称。三菱グループの傘下に入り、現在まで続いている。
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