穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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尊皇攘夷の秋は今 ―明治三十七年、対馬―


 もはや開戦秒読みの時期。


 再三の撤兵要求を悉く無視し撥ねつけて、帝政ロシアが持てる力と欲望を極東地域に集中しつつあったころ。


 スラヴ民族の本能的な南下運動を阻まんと、大和民族が乾坤一擲、狂い博奕の大勝負に挑まんとしていたあの時分、すなわち明治三十七年、日露戦争開戦間際。


『報知新聞』に投書があった。


 送り手は、玄界灘の一島嶼対馬に住まう老人である。

 

 

(『Ghost of Tsushima』より)

 


(ははあ)


 担当記者は内心密かに、


(来るべきものがついに来たか)


 と頷いた。


 中世期、元寇という日本史上稀にみる本格的な対外戦争を経験した土地だけに、およそこの種の騒ぎには敏感たらざるを得ないのだろう。言いたいことの一つや二つ、当然あろうというものだ。

 

 

(同上)

 


 しかしいざ、中身を改める段に及んで、彼は自分の予想というのが如何に甘かったかを知る。

 

 ものの二秒で理解わからされたといっていい。


 以下が即ち、その劇物の全容だ。

 

 

 一筆啓上、今回は大事件にて候。記者先生も定めし御心配と存候。対州厳原人は最早や何れも立派に覚悟致し居り。拙老は本年七十二歳にて病臥中に候間、去る九日一族縁者を拙宅に招き、拙老枕頭に於て左の如く相定め申候。

 

一、日露戦争相開け候暁には、先づ拙老を刺殺し、屍骸を土中に埋め候事。


二、婦女子小児等は博多表の親戚へ預候事。


三、壮年の男子は悉く兵器を執て、神国の大敵を討ち払ひ可申もうすべく候事。

 

 是れ拙老一家一類の覚悟のみに無之これなく隣家の老夫人も戦争相始まり候へば自殺の覚悟致され居り候。我対州人は十四五の少年と雖も男子は踏み止まりて血戦の覚悟仕居り候。日本全国の国民諸君も我対州人と同じく御覚悟被下度くだされたく希望に付、貴紙に投書仕候也。

 

 

(同上)

 


(これは、またぞろ、なんという。……)


 絶句したのもむべなるかなだ。


 眼底、戊辰の役の会津藩士を彷彿とする。


 決して竜頭蛇尾には堕ちない。一行目の勢いを、一番最後の句点まできっちり保持してのけている。常軌を逸した胆力と、異様な精気のみなぎりにより、頭の先から尾っぽまで貫かれたる書であった。


 ほとんど時を同じゅうし、神戸市では七十五歳の老人が漢文仕立ての従軍願書を携えて、堂々役所に乗り込んでいる。彼のなりときたらもう、「撃剣柔道に鍛へたる筋骨逞ましく、坊主頭の大男にて一見五十七八歳を越へず」という風な、げに頼もし気であったとか。

 

 

(同上)

 


 尊皇攘夷の掛け声にサンザ沸かした青春の血が、差し迫った時勢に触れて再び骨を燃やしたか。これも一つの冷灰枯木再点火。江戸時代に人となった連中は、やはり根性が違うらしい。

 

 

 

 

 


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