穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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日本の眠りが覚めた街


 心に兆すところあり、浦賀を歩くことにした。

 

 

 


 駅から出て暫くは、目前の大路、浦賀通りに添い、進む。左手側の空間を浦賀ドックの巨大な壁が圧している道だった。


 ドックの壁にはこのように、

 

 

 

 


 浦賀の歴史を象徴的に描き上げた看板が、幾つか掲げられていた。

 

 

 


 榎本武揚渋沢栄一この施設を建てるのに多大な貢献をしたらしい。

 

 

 


 福澤諭吉勝海舟背景うしろで波を切っているのは、もちろん咸臨丸である。しかし何故、この両人がガッチリ握手しているのやら。友誼など薬にしたくも見当らぬ、犬猿と呼ぶに近い仲であったはずだが。


 ちなみに山本権兵衛勝海舟為人ひととなりを評するに、

 


「自分が大西郷より添書を貰って勝安房を訪ねた時、先づ何んな人物かと面会して見れば小作りな医者の様な容体で莨入れを提げて、ひょこひょこと現はれ出て何とやら軽々しい挙動でこれが勝先生かと思はれる様であったが唯目がぎょろぎょろとして居る処が凡人と思はれず、自分に向って頻に薩摩人は乱暴であるから余程注意しなくてはならぬと教訓を与へて呉れましたが併し初めより人を呑んで掛って禅宗流に所謂一喝を喰はせ様と云ふ遣口であった

 


 このような言を以ってした。


 鬼面人を驚かす式の遣り口で相手の胆をまず奪い、そのまま立ち直る隙を与えず一気呵成に畳みかけ、ついにペースを握ってしまう。そういう手管を好んで使う男だ、と。

 

 策士の面目躍如であろう。

 

 

 


 明治の名残りか、赤レンガ。


 やがて視界がパッと開けて、

 

 

 


 眼の前に海が広がった。

 

 

 


 水はそこそこ澄んでいる。


 手を突っ込んでみたくもなるが、そこまで降りては行けない仕組み。

 

 

 


 海といっても細長い入江の中のこと、潮の香りも薄ければ、水面は凪いで湖みたく穏やかだ。


 いい雰囲気の場所である。

 

 

 


 そろそろ目的地が近い。

 

 

 


 愛宕山公園、ここだ、ここに来たかった。


 明治二十四年以来の、浦賀市内で最も古い公園である。


 入口頭上のプレートの浦賀園」の三文字は、つまり当時の名であった。

 

 

 


 最古、最古か、なんと床しき響きであろう。


 それを聞いては、興味を持たずにいられない。とうに膏肓に入っている我が保守主義が疼くのだ。だからここまでやって来た。

 

 

 


 石段は、草の侵食を受けている。軍手を持ってくるべきだったと少し後悔。

 

 

 


 半ば緑に埋れたベンチ。腰掛ける気にはちょっとなれない。足下からゲジゲジなんぞが這って来そうだ。実際、ミミズは二匹ほど見た。どちらも日の照る石段の上、大儀そうにのたくっていた。

 

 

 


 与謝野夫妻の文学碑。両者達筆、個性の違いも鮮やかに。

 

 

 


 樹叢越しに垣間見る浦賀の街も乙なもの。

 

 

 


 嘉永六年にはきっと此処から月代あたまの武士どもが、黒船の様子を偵察なぞもしただろう。


 江戸時代には時を伝える鐘撞堂が建っていたとも聞き及ぶ。道はあった筈である。

 

 

 

 

 


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