穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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志士の慷慨 ―不逞外人、跳梁す―


 外国人に無用に気兼ねし、何かと腰が低いのは、日本政府の伝統である。


 明治政府もそうだった。


 昨今取り沙汰されると同様、日本人が相手なら些細なルール違反でもビシバシ取り締まるくせに、外国人の違法行為に対しては、遠慮というか妙な寛大さを発揮して、いわゆる不起訴で済ませてしまう。それをいいことに当の外国人どもはますます増長の一途をたどる。

 

 

(『Ghost of Tsushima』より)

 


エコノミスト』初代の主筆佐藤密蔵という人は、学生時代たまたま遊んだ横浜で、立派な身なりの英国人が何か気に喰わぬことでもあったか邦人車夫をステッキで滅多打ちにしている現場に遭遇し、


 ――これが「紳士」のやることか。


 と、途轍もない衝撃を受け、それまで「近代国家」というものに漠然と抱いていた憧憬が反転、イギリスという国そのものに抜き難い嫌悪を抱くに至り、ついに終生、この観念が離れなかった。


 ――英国の平和論の如きは娼婦の空涙より信じ難い。

 

 ごくさりげない一節中にも、生々しい実体験が活きている。


 同じころ、日本各地に実に多くの佐藤密蔵がいただろう。

 

 

 


「蓋し西洋人の我国に渡来するは、固より利益の為めにして他志あることなし。且異俗の異郷に来り、人の耳目も左まで憚るに足らざれば、自から品行の取締を失ひ、ややもすれば本国に在て犯すべからざる事をも、異郷の暗に乗じて犯さんとするものあり。――福澤諭吉『時事新報』に苦々しさを隠さない。


 日本の法律、日本の習慣、日本人の人権を、毫も斟酌することなしに、好きに振舞う不逞外人。彼らが野放しである現実に、在野の志士らが如何に悲憤慷慨したか。


 就中、陸羯南の筆鋒は、とりわけ烈しいものだった。

 


「納税遵法は臣民普通の公義務なるに、或る地方の県知は此の公義務を肯んぜざるの外人を吾が良民と雑居せしめ置くの已むなきを見る。治安風俗の取締は独り外人に及ぶ能はざるのみならず、甚しきは外人に遠慮するよりして内民にも放漫す。…(中略)…検疫衛生の法も動もすれば充分の効用を得ず。宗教の如きは或る宗門に向ひて腫物に障はるが如き陋状を呈す。一々仔細に吟味し去らば、対外卑屈の精神よりして内治に及ぼすの影響は豈に此に止まらんや。対外軟の弊亦甚し」

 


 郷に入って郷に従えない奴は、人間扱いする価値がない、人に非ずとまで言った。

 


何れの国人たるも既に来りて我土を履み我国に住する以上は、義に於て我が帝国の利益を重ずるを要す。条約上に口を藉きて不逞亡状を働くは人に非るなり

 

 

 


 およそ彼の世にあってすら「時代遅れの攘夷家」呼ばわりされようと、決して所信を曲げようとはしなかった。

 


対外軟の精神は対内酷の心なり。苟も外国人の意に投ずるを得ば、内国民の害は殆ど問ふことなし。吾輩は此に独り現政府のみを攻撃するにあらず。二十年来の精神は皆な然ることを断言す。要するに内外政治の百弊は其の源を対外軟に発す。内治外交の革新を仕遂げんと欲せば対外硬の精神を起せ

 


 現代日本の世相に対し、羯南は一服の清涼剤として機能する。

 


「東京は万線の焦点なり、単に政治の焦点にはあらざるなり。往昔幕府の隆んなる、江戸と称して将軍の御膝元と云ひ、其の経営に向て殊に意を用ひたり。

 今や封建の制廃れ郡県の政興り、東京は一の自治体たるに至れりと雖も、実に 聖天子の御座所にして文武百官の在る所なれば、帝国の首府として之が経営を為すは敢て幕政に譲るべからず

 


 都知事選の候補者は蓋し傾聴すべきであろう。

 

 

Tokyo Metropolitan Government Building Oka1

Wikipediaより、東京都庁

 


 このタイミングで彼の著書を手にしたことに、幸運以上の「運命」を感じずにはいられない。


 羯南の魂を継承する日本人が一人でも多からんことを、ひたすら希うのみだ。

 

 

 

 

 


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