日露の仲が急速に殺気を孕みはじめた時分――。
二葉亭四迷は誰に頼まれたわけでもなしに、全然己一個の意志で単身シベリアへと渡り、彼の地に俄然集結中の帝政ロシアの軍の規模、兵装の質、統制如何、士気の充実はどうだのと、彼らについてのありとあらゆる情報を血眼して
その結果として、
――これなら勝てる。
と、確信するに至ったらしい。日本内地に
軍当局に報告書を上げもした。紙数にして三百枚を数えるほどの厚みがあって、専門家である軍人たちすら、その行届いた説明に唸らざるを得なかった。
欧州大戦に幕を引く、ヴェルサイユの講和会議開催につき、当時の政府は西園寺公望その人を全権大使に撰出し、大日本帝国代表として向わしめることにした。
その報せを聞くや否、血相変えてペンを掴んだ者がいる。
文人、岩野泡鳴である。
一気呵成に手紙を作製、宛名はむろん、西園寺。パリへと出立する前に届かせねばならないと、ぶん投げるような調子で以って送付した。
以下、内容を掲げ置く。
「謹んで一書を呈することをお許し下さい。講和問題に関することでございますが、若しいよいよあなたがお立ちになることにお成りでございましたら、どうか日本主義の根本に拠って日本の立脚地を十分に発揮して戴きたいのでございます。ウィルソン氏にせよ、ロイド・ジョージにせよ、結局は自国の利益を考へに入れての正義人道であります。日本も日本の利益を以ての正義人道でなければ馬鹿を見ます。一日の利害は取りも直さず一国の精神であります。利害を離れての精神や正義は模倣であり、迂闊なおつき合ひであります」
長文ゆえ、全部は引用しかねるが、冒頭だけでもおおよその雰囲気は察せられるに違いない。
(Wikipediaより、講和会議の四巨頭)
チャップリンが偉大なプロパガンディストであったのは再言するを要さぬが、H・G・ウェルズもそれはそれは見事であった。欧州大戦酣なる期間中、「フランケンシュタイン・ドイツ」だの「知的劣性」だのという素敵なコトバを創り出し、祖国の勝利に貢献すべく努力した。
「彼は偉大な才能を発揮して、平和主義者を懲らしめ、みんなが想像するほど戦争は恐ろしくないと読者を説得しようとした」(フリップ・ナイトリー著『戦争報道の内幕』より)。なんと感動的だろう。
コナン・ドイルに至っては英国の誇りそのものである。彼は戦場視察に際し、「金モールがびっしりついた州副総督の制服で現れたので、彼が通るたびに大佐や准将が敬礼した」(同上)。さだめし気分が良かっただろう。閣下々々と持て囃されて、鼻高々というヤツだ。
大得意の報酬として、コナン・ドイルもウェルズと同じく、「イギリス人が今までになかったような激しさでドイツ人を憎むようにする」キャンペーンに協力したこと、言うまでもない。
スペイン内戦ではヘミングウェイが機関銃の銃把を握ってつい勢いでハイになり、敵陣めがけて弾丸を雨霰と浴びせまくったものだった。当該陣地はほどもなく、敵の反撃を
諺に「ペンは剣よりも強し」と云う。
もっともなことだ。
ならばひとたび戦争状態に突入するや、用法如何で能く千万の活殺さえも左右する、
上に挙げた人々は、
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