明治三十九年一月十四日午前十時三十九分、東京、新橋駅頭は空前の熱気に包まれた。
凱旋したのだ、英雄が。
日露戦争の将星人傑多しといえど、わけても一際異彩を放つ、嚇灼たる武勲所有者。おそらくは東郷平八郎と国民人気を二分する、陸軍界に於ける聖将。第三軍司令官、乃木希典大将が、とうとう帝都に帰還した。
(水師営にて)
いやもう、人、人、人である。
強きを欲し、強きに焦がれ、強きに向かう日本人の性情が極端に発揮されたと見るべきか。東亜に向かって伸ばされた帝政ロシアの魔の手を払い、みごと勝利をもぎとった、烈士の姿を
しかし、しかしだ。
果たして何人が気付いたろうか。
盛大極まるこの出迎えの群衆が、しかしその実、肝心要のたったひとりを欠いていたということに――。
そのひとりとは、言うまでもない。
乃木希典にとってのツガイ、静子婦人、その人である。
(Wikipediaより、自決当日の乃木夫妻)
なにゆえ妻は夫にとってのこれ以上ないハレの場に駈けつけようとせなんだか? 理由は単純、差し止められていたからだ。他でもない、夫自身の手によって――。
乃木希典は、しっかり厳命しておいた。
「出征したるものが運ありて命を損ぜざる以上は何時か帰るは当然の事、其上我部下の壮丁の戦場に斃れしもの頗る多し、戦争とは云ひながら面目もなき次第、凱旋の日とて出迎無用」
如上の書簡、訓戒を、事前に我が家へ送附しておくことにより、だ。
静子婦人は従容として従った。
乃木希典が仄かな満足を持ったのは、自分を迎える幾千幾万の民草があったことよりも、唯一無二の伴侶の影がその中に無いことだった。
(明治末、新橋駅)
天気晴朗、空に一点の雲翳を見ず、一天鏡の如くなり――。
当日の気象記録であった。
陽光にたっぷり恵まれて、乃木希典は凱旋の儀を
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