穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2022-01-01から1年間の記事一覧

「誠意」の氾濫 ―南洋諸島覚え書き―

最初の世界大戦で、日本は「勝ち組」に身を置いていた。 戦後行われるパイの切り分け作業にも、当然参加する資格を有す。各国の思惑交錯し、智略謀略張り巡らされ、次の大戦への種子がまんべんなく振り撒かれたヴェルサイユ会議が終結したとき。極東の島国の…

ゴム鞠たれ、潤滑油たれ ―三井の木鐸・有賀長文―

面接に於ける常套句と言われれば、大抵がまず「潤滑油」を思い出す。 あまりに多用されすぎて、大喜利のネタと化しているのもまま見受けられるほどである。 人と人との間を取り持ち、彼らの心を蕩かして個々の障壁を取り払い、渾然一体と成すことで、組織と…

天才、才能を語る ―盲目の箏曲家・今井慶松―

その少年は四歳で光を失った。 両眼失明という過酷な現実。あまりにも巨大な運命の重石が、小さなその背にいきなり振り落ちて来たわけである。 もしも私が、同じ境遇に置かれたならばどうだろう。果たして耐えることができただろうか。いや、考えるまでもな…

愚行欲求、脱線讃歌 ―自由な国の民のサガ―

エマーソン曰く、自由な国の民というは自己の自由を実感するため、意識的にせよ無意識的にせよ、時折わざと間違ったことを仕出かしたがる生物だとか。 正直なるほどと頷かされた。 ウィリアム・バロウズ――例の「薬中作家」(ジャンキーライター)その人も、…

英国印象私的撰集 ―エマーソンの眼、日本人の眼―

イギリスは、誰から見てもイギリスらしい。 前回にて示した如く、びっくりするほど多いのだ。十九世紀中盤に彼の地を歩いたエマーソンの見解と、二十世紀初頭にかけて訪英した日本人の旅行記に、符合する部分が凄いほど――。 たとえばエマーソンの時代、こう…

物狂おしきこの季節 ―杉花粉への憎悪が滾る―

鼻が詰まって頭がうまく回らない。 味を感じる機能の方も、低下の一途をたどるばかりだ。 ストレスはどんどん蓄積される。杉への殺意が抑え難くなってきた。春――この忌々しい、呪いの季節もいよいよ盛りというわけだ。 杉を地上に創造したのは悪魔の仕業と言…

包囲された都市のめし ―普仏戦争地獄変―

戦争の惨禍を蒙るのは、なにも人間ばかりではない。 物言わぬ動物も同様である。 以前私は、ハーゲンベック動物園の悲劇に触れた。欧州大戦末期に於いて、飢餓に苦しむハンブルクの住民は、かつてあれほど秋波を送った堀の向こうの動物たちを、もはや可憐な…

聖なる炎よ ―帝政ロシアのカルトども―

広い広い、際涯もないロシアの大地に出現した怪僧は、なにもラスプーチンばかりではない。 女帝エリザヴェータの治下に於いてもフィリポンと名乗る精神的一大畸形が登場し、怒涛の如く吐き出す鬼論で人心を幻惑、天下を聳動させている。 (Wikipediaより、女…

イレズミ瑣談 ―文化爛熟、江戸時代―

ドラゴンボールがいい例だ。 あるいはジョジョのいくつかと、らんま1/2も新装版はそう(・・)であったか。 これら少年漫画の単行本は、その背表紙が一枚絵になっている。優れた趣向といっていい。全部集めて書棚に並べ、完成したの(・)を眺めていると…

事を成すには ―大久保・伊藤、権勢の道―

――それにしても。 と、前回の流れを引き継いで、思わずにはいられない。 それにしても春畝公伊藤博文閣下とは、なんと豊富な逸話の持ち手であるだろう。 ひょっとすると「元勲」と呼ばれる面子の中でも最多なのではなかろうか。これはそのまま人間的襟度とい…

火事場の伊藤 ―紅炎迫る議事堂で―

最初はまず、臭いであった。 鼻を刺す――どころではない。「鼻の奥を抉られるような」厭(い)やな臭いがしたのだと、当日警備を担当していた橋口某は物語る。 警備といっても、民間企業の「雇われ」ではない。 彼の所属を闡明すると、「議院内派出所詰警部」…

真渓涙骨私的撰集 ―「千樹桃花千樹柳」―

涙骨の本は二冊ばかり持っている。 昭和七年『人生目録』と昭和十六年『凡人調』がすなわちそれ(・・)だ。 見ての通り、『人生目録』には函がない。 裸本で売りに出されていた。 まあその分、安価に買えたことを思えば文句の言えた義理ではないが。 構成は…

旅に出ます。 ―エルデの王となるために―

ついに。 ついに、 ついに! ついに!! ついにこの日がやって来た。 令和四年二月二十五日、『エルデンリング』の発売日である。 本日ただいまより暫くの間、私は音信不通になるだろう。エルデの王となるために、持てる力のありったけを注ぎたいのだ。脇目…

伊藤博文、訣別の宴 ―「万死は夙昔の志」―

初代韓国統監職を拝命し、渡航を間近に控えたある日。 伊藤博文はその邸宅に家門一同を呼び集め、ささやかながら内々の宴を催した。 祝福のため、壮行のため――そんな景気のいい性質ではない。 ――二度と再び現世で見(まみ)えることはなかろう。 だから最後…

人間行路難 ―木戸孝允は死してなお―

起きてはならないことが起きてしまった。 死者の安息が破られたのだ。 墓荒らし――真っ当な神経の持ち主ならば誰もが顔をしかめるだろう、嫌悪すべきその所業。 それが明治十二年、京洛の地で起きてしまった。 場所も場所だが、「被害者」はもっと問題である…

明治の神風 ―奇蹟的な歴史の隙間―

――あのとき神風は吹いていたのだ。 そう叫ぶ者に出くわした。 むろん、現代(いま)を生きる誰かではない。古い古い紙の上で、だ。 昭和二年六月十五日発行、雑誌『太陽』増刊号で文学博士・村川堅固が力いっぱい吼えていたもの。 彼の主張するところ、その…

芸術家の対人折衝 ―イドラデウスも御照覧あれ―

ルーベンス。 有名な名だ。 『フランダースの犬』――ネロとパトラッシュがその絵の下で現世におさらばしたことで、もはや名前ばかりが独り歩きしているような感すら抱く。 (Wikipediaより、ルーベンスの自画像) 彼の活躍は十七世紀。壮麗華美なるバロック絵…

明治毛髪奇妙譚・後編 ―ちょんまげこそは日本魂―

かと思いきやまったく同時期、世間がなんと言おうとも、意固地なまでの一徹ぶりで新奇を拒絶し、旧習の中に根を張って不動の構えを示し続ける手合いもいるから面白い。 断固散髪を肯んぜず、ちょんまげを守り続けた漢たち。―― その筆頭は、なんといっても「…

明治毛髪奇妙譚・前編 ―アタマは時代を反映す―

大清帝国が黎明期、辮髪を恭順の証として総髪のままの漢人の首をぽんぽん落としていたように。 ピョートル大帝がひげに税を課してまで、この「野蛮時代の風習」を根絶しようとしたように。 あるいはいっそヒトラー式のちょび髭が、公衆に対する挑発として現…

不平の種、魂の熱 ―満ち足りることに屈するな―

こんなおとぎばなしが西洋にある。 どこぞの小さな国が舞台だ。王と王妃が登場するから、王制を採択していたのは疑いがない。夫婦仲は良好で、国民からも慕われていた。 が、なにもかも順風満帆であってくれては、それこそ物語として発展する余地がない。必…

江尻正一という男 ―日英比較の覚え書き―

イギリス人で時計と聞くと、私の脳にはどうしても、『ジョジョの奇妙な冒険』がまず真っ先に浮上する。 第一部「ファントムブラッド」の序盤も序盤、ジョナサン・ジョースターの懐中時計をディオが勝手に持ち出して、しかのみならずそのことを嫌味ったらしく…

漢民族の言行不一致 ―支那に幻滅した尾崎―

以下はちょっと信じ難いような話だが。―― 清朝末期、全国二十三ヶ所に設置された税関は、途方もない運営方針に打って出た。支那人の雇用拒否である。 自国の行政機構から自国民を叩き出し、態々高いカネを払って西洋人を招聘し、業務を遂行させていた。 これ…

兵が畑で採れる国 ―李氏朝鮮の「拉夫」事情―

兵隊の数が足りなくなると、そのあたりの人夫を拉致して形ばかりの軍装をさせ、兎にも角にも体裁の弥縫に腐心するのは、なるほど宗主国様とそっくりだ。 李氏朝鮮のことである。 東学党の乱、またの名を甲午農民戦争が勃発した当初の話だ。朝廷はその保有す…

ソヴィエト謹製・催眠音声 ―生命涵養法の一―

もしかすると催眠音声作品の「始祖」を見つけたやもしれぬ。 精神科医にして文筆家、式場隆三郎の著作に、だ。 昭和十二年刊行、『絶対安眠法』の中に於ける一節である。 映画の与へる強い視覚作用と、トーキー応用による聴覚作用を併せて、治療に役立てよう…

実験動物怪奇譚 ―脳がなくとも生きてやる―

一九三六年、アメリカのとある医学雑誌にとんでもない実験論文が載せられた。 タイトルは「正常鳥類と大脳摘出鳥類に於ける睡眠及び覚醒の記録」。 鳥類とあるが、より詳しくは鳩を用いた研究である。 (Wikipediaより、カワラバト) 手順はこうだ。まず正常…

煙突なき街、山口市 ―「近代産業に見捨てられた地」―

明治維新から半世紀。山口市は、近代産業に見捨てられた街の謂(いい)を甘受していた。 人口、僅かに三万三千。大都会岡山の十三万はもとより、同時期の鳥取と較べてさえも六千人ほど少ないという寂寞さ。 (山口市米屋町本通り) 「工場」と呼べる施設など…

庚申川柳私的撰集 ―「不祥の子」にさせぬべく―

「きのと うし」「ひのえ とら」「ひのと う」「つちのえ たつ」「つちのと み」――。 あるいは漢字で、あるいは仮名で。カレンダーの数字のそばに、小さく書かれた幾文字か。 古き時代の暦の名残り。十干十二支の組み合わせは、実に多くの迷信を生んだ。 (W…

江戸の当時の蕩児たち ―『色道禁秘抄』を繙いて―

玉鎮丹、如意丹、人馬丹、陰陽丹、士腎丹、蝋丸、長命丸、鸞命丹、地黄丹、帆柱丸。 以上掲げた名前はすべて、江戸時代に製造・販売・流通していた春薬である。 左様、春薬。 現代的な呼び方に敢えて変換するならば、媚薬とか催淫剤とかいったあたりが相応し…

男装の麗人、その魅力 ―HENTAI文化は江戸以来―

文政九年のことである。 江戸は上野の山下で、世にも珍奇な見世物が興行される運びとなった。 女力士と盲力士の対決である。 互いに十一人の選手を出して、最終的な勝ち星を争う。 (Wikipediaより、土俵) 土俵の神聖もへったくれもない話だが、実のところ…

正月惚けの治療薬 ―川柳渉猟私的撰集―

思考がどこか惚けている。 正月気分で緩んだネジが、未だに二つか三つほど、締まりきっていない感じだ。 しゃちほこばった文章は、角膜の上をつるつる滑って逃げてゆく。 こういう時には川柳がいい。 するりと脳に浸潤し、複雑な皴を無理なく伸ばす。そうい…