最初はまず、臭いであった。
鼻を刺す――どころではない。「鼻の奥を抉られるような」
警備といっても、民間企業の「雇われ」ではない。
彼の所属を闡明すると、「議院内派出所詰警部」。
歴とした公務員――国会議事堂の警備であった。
(Wikipediaより、国会議事堂)
これが現代社会なら、たちどころに緊急警報が鳴り響き、間髪入れず対BC兵器装備に身を包んだ特殊部隊がやって来て、事態収拾に当たるのだろう。
だがしかし、議事堂が警察の所轄であることから察せる通り、この事件が起きたのは絢爛たる明治の御代のことなのだ。
それも第一回帝国議会が開かれてからまだ半年と経ていない、明治二十四年一月二十日未明のはなし。毒ガス兵器の可能性など、片鱗も浮かぶ筈がなく。後世の眼からは信じがたいほど暢気な態度で彼らは調査を開始した。臭いの強くなる方へ――ただ肉体の感覚のみを頼りとし、発生源を突き止めんと一歩一歩進みゆく。
(アメリカの科学戦部隊)
果たして努力は報われた。「第十四號室即ち二田資格審査委員室」の前に於いて、彼らは
漏電だった。
壁に這わせたコードから、青い火花がしきりに零れ、徐々に周囲を白煙で染めてゆく。
その景況を、翌日の『東京日日新聞』上に垣間見よう。
…天井の隅に当りて青きは夏の夜の蛍火か電燈の線を伝ふてチラチラ走る、すはやと
当時の国会議事堂は木造二階建の仮建築。
(Wikipediaより、第一次仮議事堂)
国会開設の勅諭上で提示した期限を全うするため、已むを得ざる措置だった。
それはそれは燃えやすかったことだろう。
事実、衆議院の一角から生起した火は、とてものこと片翼のみに止まらず。対面の貴族院まで呑み込んで、この夜の内に建物全部を焼き払ってしまうのである。
伊藤博文が駆けつけたのは、ちょうど衆議院側が一個の巨大な松明と化して帝都の夜空を赤々と染め上げている折だった。
(なんということだ)
喉の奥が引き攣ったのは、煙のみの所為でない。
首をねじって貴族院を見渡せば、こちらの屋根にも幾筋か、白煙が昇りつつある。
さても不吉な眺めであった。
人々は必死になって水を調達、ぶっかけてはいるものの、とても楽観は許されない。
(おのれ。――)
刹那、伊藤の脳内に、御殿山英国公使館が浮かんだか、どうか。
若かりし日の奔走時代、高杉晋作に率いられ、井上馨・品川弥次郎らと共に、彼みずからが炎上させたあの建物の映像が――。
(御殿山英国公使館焼き討ち事件)
わからない。
はっきりとわかっていることは、この場に於ける伊藤博文の指示である。
ほとんど反射の速度で以って命じたらしい、「急ぎ玉座を運び出せ」と。
貴族院に据え付けられた至尊の御椅子、たとえ何を失おうとも、あれは、決してあれだけは、炎の餌食としてはならない。――
蓋し当を得た命令だった。
このあたりの機微につき、『東京日日新聞』の古色蒼然たる筆鋒は、
…何は兎もあれ祝融の神あらけなくも 天皇の玉座を冒し奉らんこそ恐れ多けれ疾く取り外して然るべしと命ず、げにもと守衛巡査総掛りにてこれを取って外し喘ぎ喘ぎ傍なる巡査派出所へ運びしこそ危ふけれ、かく手配り行届きたれば同院の分は書類大かた取り出したりとかや。
およそこんな具合に
幕末の風雲、白刃乱舞し銃火舞い散る修羅の巷を生き延びたのは、単に幸運頼みでないと実感させてくれる姿だ。
不意の急場に於いてこそ人間の本質が問われるならば、伊藤のそれは鍍金にあらず、十重二十重の折り返しを経た真鉄なりと、存分に証明されたことだろう。
一夜明け、東の空が白むころ。
つい昨日まで立法府の殿堂がたたずんでいたその場所は、灰と炭とで構成された、巨大な廃墟が横たわるのみとなっていた。
だが、無事だった部位もある。書記官長の官舎などはほとんど被害を受けぬまま、昇りゆく陽をその全身で味わっていた。
この奇蹟は、実は奇蹟でもなんでもなく、一人の無名の英雄の、我と我が身を顧みぬ犠牲的勇気によるものだった。三度『東京日日新聞』にお出まし願い、その詳細を引いておく。
…三時といふ頃には、火炎こなたに燃移りて一面の火となる、今は余る書記官長の官舎も危く見ゆれば間を通じたる電線を断ずんば防がんやうなしと口々に詈しけれどもいづれもかゝる事には心得なき人々のみなれば唯だ慌て惑ふてのみ手を下す術を知らず、巡査の一人は是非なく佩きたる剣抜放して電燈線を切て棄つ、何かは堪らん我が身は其儘悶絶す、これが為めに官舎は幸に無事なり…
(Wikipediaより、研ぎ師。大正時代撮影)
ゆめ蛮勇と呼ぶなかれ。
それはちょっと、いや、あまりにも残酷だ。
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