玉鎮丹、如意丹、人馬丹、陰陽丹、士腎丹、蝋丸、長命丸、鸞命丹、地黄丹、帆柱丸。
以上掲げた名前はすべて、江戸時代に製造・販売・流通していた春薬である。
左様、春薬。
現代的な呼び方に敢えて変換するならば、媚薬とか催淫剤とかいったあたりが相応しかろう。まあ要するに「いもりの黒焼き」の親戚めいた存在だ。
(黒焼きの製法)
――支那伝来の薬方にて調合せしうんたらかんたら。
こんな具合の触れ込みで世の助平どもを釣り上げるのが
人はとにかく煩瑣を厭う。面倒な手続きなど踏みたくないし、立ち塞がる険路を見ては馬鹿正直に乗り越えるより、何処かにそれを回避する抜け穴・裏道・隠し通路はないものかと期待する。そういう心の姿勢こそ「智者のふるまい」と看做す手合いも多かろう。
不老不死を望むにしても、深山幽谷の奥に隠れて欲念を断ち、過酷な修行に骨身を削っていつか神仙に至るなど、そんな気長な手段なんぞは御免蒙る。
それよりもっと手っ取り早く、例えば一粒口の中へと投じるだけで、あとは昼寝をしていても自動で身体が変異する――そうだ、お伽噺の「蓬莱の薬」の如きはないか。そちらの方へ思慮が向く。
人間ほど、手前勝手な物の見方をするものはない。或人が、人間の先祖は、人類学者の言ふやうに、猿ではなくてSelfish(我儘)といふ魚であらうと言ったが、此批評は、人間の本能性を巧く言ひ現はしたものである。(昭和九年『実経済の話』)
武藤山治がぼやきたがるのもむべなるかなだ。「春薬」なぞ、そういう我儘横着の最たる顕れであるだろう。女を口説き、その気にさせる手間を省いてとにかく寝所に連れ込みたいのだ。
永遠の生を希い、水銀を飲んだ始皇帝よろしく。
下半身の満足をやたらに急いだ阿呆どもの顛末は、大抵ロクなものでなかった。天保年間の医者の随筆、『杏林内省録』が物語る。
…今時舶来の蝋丸を求めて淫を貪ぼる輩あるより、和製の春薬も亦多く之を用ひて病を起すものあり。余は都鄙にて数人を療せしに、亀頭腫れて膿を含み、或は亀頭の皮破けて膿汁出て、また黴毒を患へし人は再び旧毒を呼び出し、瘡痕開けて膿血を出だす。女子も亦然り。故に娼妓の輩、春薬を辞する由。男女とも陰所熱して痛痒堪え難く、手も放たざる等のことあり…
読むだに股間に痛みの走る文章である。
(藤子・F・不二雄「テレパ椎」より)
娼妓と同じく、蕩児の中でも気合の入った連中は、やはり春薬なぞに頼ろうとする「素人ども」をせせら笑った。ケツの青いガキめらが、大人しく傾城の爪先で嬲られておればよいものを、分を弁えず一丁前の男ヅラして組み伏せようと焦るから、負わんでもいい火傷を負うと。
では、玄人ならどうするか。
俳仙堂こと西村定雅に答えを聞こう。
本邦に於ける性心理学の魁として、その筋では知らぬ者なき豪傑だ。
彼はまず、
――古来薬剤女悦の薬を論ずれども、総じて効なし。
と、曲解の余地なくバッサリ切り捨て、女と共にめくるめく世界へ行きたいならば、何はともあれまず第一に「
更に続けてそのやり方も、
――平生の通りは宜からず、男の口にて女の口を塞ぎ、呼吸を止む可し。上へ
と、圧倒的な――湿った音が今にも耳に響かんばかりの――生々しさで指南している。
当然我が身で実証済みのことなのだろう。
実証済み、どころではない。
この西村定雅、実をいうと唇どころか全身くまなく舐めしゃぶられた途轍もない経験を持つ。
つまりはこういう次第であった。
問に曰く、先年、寺町五条辺の富豪の
答へて曰く、余も昔、此の如き孀婦に出会し、
どう考えても日本人の変態性は、一朝一夕で形成されたものでない。
もっと遥かに根深いものだ。その確信が、これでますます強まった。
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