前回の補遺として添えておく。
かねてより報されていた通り、昭和六年九月十六日京都西本願寺にて得度式が行われ、真宗史上初となる女僧侶の集団がめでたく地上に
(西本願寺)
とち狂った男性優越原理主義者が金切り声を上げながらポン刀片手に乱入して来るだとか、そうした椿事も起こらずに、厳粛かつ円満なる雰囲気のまま一切は完了したようだ。
さて、この日。
誕生した女僧侶の群れの中、とりわけ強く異彩を放つ五人組の姿があった。
三重野知々子、関沢章子、大平悦子、林淑子、須田智嘉子。
この五名である。
彼女らは皆、等しく日本女子大学を卒業済みの、当時に於ける「インテリ女子」に他ならぬ。
三重野知々子のみ二十九歳、あとは全員、二十八歳。在学中の親交を、ずっと保って来たらしい。
比較的、なりたい自分を自分で決められる立場。さだめし豊富であるはずの選択肢から、なにゆえ態々「仏門」を仲良く選び取ったのか?
そうした面で世間の興味をいたく
彼女らもまた包み隠しはしなかった。――白衣素絹に数珠をかけ、黒髪を無造作に束ねた姿をひっさげて、堂々声明を出している。
「男子は長袖をぬいで街頭に立つべきときです、法衣に身をかため弥陀の慈悲を伝へる宗教、情操方面は女にゆづるべきときではありませんでせうか、殊に一家の主婦が僧侶として法衣をまとひ、祖先の日などに子供達を仏前に集めてお経をあげ、説教もするやうでなければ家庭の浄化、家庭の宗教化は望めないと思ひます、私達は非僧非俗の立場でやってゆきたい」
新しい女、目覚めた女。
モダンガールの意気とはつまり、斯くの如きであったのだ。
思想善導の職分を果たす
泉下の福澤先生も、さだめしご満悦だろう。
(清水の舞台)
「私達は経済的に独立してゐますから、商売的ではありません、たゞ信仰の上に立ってゐるのです、哲学、宗教を勉強し思想的に親鸞の教へに共鳴して入ったのです、それに女僧侶は単におぢいさん、おばあさんのお話相手だけでなく信念と共に学的根拠を持ちたいものです」
実際問題、彼女らの名で検索すると、その種の
昭和十年、三重野知々子『真宗学上の一提題』。
昭和十二年、須田智嘉子『信仰と知識』――といった具合いに。
有言実行、素晴らしい。大和撫子の肝っ玉を存分に見せつけてくれたものだった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓