穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

イレズミ瑣談 ―文化爛熟、江戸時代―

 

 ドラゴンボールがいい例だ。


 あるいはジョジョのいくつかと、らんま1/2も新装版はそう・・であったか。


 これら少年漫画の単行本は、その背表紙が一枚絵になっている。優れた趣向といっていい。全部集めて書棚に並べ、完成したを眺めていると、もうそれだけでひたひたと、達成感が血肉の間に満ちてくる。幼心にコレクターの悦びを教育する第一歩ともなるだろう。

 

 

 


 この種の仕掛けのはじまりは、ひょっとすると江戸時代まで遡り得るのやもしれぬ。

 

 そういう記述を読書中に見つけてしまった。寺田精一著『惑溺と禁欲』、大正十年――1921年印刷というから百年あまりの時間を吸ってすっかり変色しきった紙を捲っていた際である。

 


…社会的に勢力を得るに至った文身いれずみは、当時に於て一時的の文身を発生せしむるに至った。一時的文身といふのは、役者の隈取をするやうに、油や蝋に絵具を混ぜたので恰も文身したやうに画くのであって、注意して居れば三四日は保たれるのである。即ち当時の商家の番頭や、侍などの遊蕩家が、一時の興に用ひたものであるが、又芸妓なども祭礼の時などに、この一時的の文身をし、片肌ぬいで木遣りなど歌ひ山車を曳いたものである。かかる趨勢は、遂に古今東西を通じて恐らく最大規模の文身といはれ得るやうなものを、我が邦にて見るに至った。それは江戸浅草の三社の祭に、若者二十人を一列に並べて、一体の龍となる群集的文身を試み、雑閙せる人中へ繰り込んで世人に一驚を喫せしめたことである。(322~323頁)

 


 古人の発想力もなかなかどうして、現代人に劣らない。

 

 

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 それにしても以前に触れた「女相撲VS盲相撲」の件といい。江戸というのはなんとまあ、奇抜でしかも華やかなる興業の乱れ咲いた市街であり、治世であろう。

 

 入墨については天保年間、大規模な競覧会が開かれたこともあるそうだ。


 大工左官に火消し人足、雲助や駕籠舁きに至るまで。己の背中に自信のある野郎どもが一堂に集まり、その技巧やら図案やらを見せつけ合って、存分に気焔を逞しくした。


 具体的にどんなのが傑作として持て囃されたかというと、

 


…短刀を腰に文身し、犢鼻褌ふんどしを締めると、恰も短刀を差したやうに見えるもの、頭髪から糸を引いて臀部に至り、そこに一匹の蜘蛛を文身したもの、肛門の辺に糞柄杓を表はせるもの、河童の肛門を窺へるもの、背に自分の戒名を記した卒塔婆を大きく画けるもの…

 


 およそこのような次第であった。(323~333頁)

 

 

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(『江戸府内 絵本風俗往来』より、風呂屋の二階)

 


 社会的動物である人間は、必然として集団を形成つくる。なにかに属していなければとても心の落ち着きがない。そのようにして集団に安住すると同時に、しかし一方、集団に埋没するのを厭い、なんとかして己自身を際立たせようと努力する。


 そのあたりの性質が躍如としていて、これはこれで面白い。実に見応えのある景色であった。

 

 

 

 

 

 

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