もしかすると催眠音声作品の「始祖」を見つけたやもしれぬ。
昭和十二年刊行、『絶対安眠法』の中に於ける一節である。
映画の与へる強い視覚作用と、トーキー応用による聴覚作用を併せて、治療に役立てようとする試みがソヴィエトで行はれた。
この研究は五年前からモスクワのスハレブスキイ教授によって進められ、最初に完成されたのは「催眠療法」と題したものである。映写幕によって観客に催眠術をかけて、ねむらせようとする方法である。
映画は三巻からなり、第一巻は
催眠術それ自体なら、遠く紀元前のむかしから存在していた。
古代エジプト文明のパピルス上に、既に痕跡が見て取れるという。
十九世紀にイギリスの医師、ジェイムズ・ブレイドがこの現象に科学のメスを差し込んで原理をじっくり腑分けして、神秘のベールを剥ぎ取ると、研究は飛躍的進歩の段階に突入。堂々たる大病院の医療行為の現場に於いて盛んに役立てられるに至る。
中には麻酔がわりに催眠をかけ、苦痛なく外科手術を成功させた、驚嘆すべき事例さえもあったとか。
繰り言になるがそういうわけで、催眠術それ自体は決して新奇な代物ではない。
だが、しかし。医師と患者、一対一の形式を超え、対象を不特定多数の聴者観客とした催眠――換言すれば催眠術の商品化を行ったのは、ソ連のコレが第一号ではなかろうか。
ASMRだの、ウィスパーボイスだの。
二十一世紀も五分の一を消化したこんにち、本邦のサブカル市場には「心地よい眠り」を
かく言う私も幾度か脳にぶち込んだ経験を持つ。いや、白状しよう。「幾度か」などと、あまりに実態からかけ離れた表現だ。「夥しい回数を」としか言いようがない。ああ、アールグレイには本当に本当にお世話になった。
丹下桜や門脇舞以に深呼吸を指示してもらえなかったなら、私はいまごろ不眠症に悩まされ、ノイローゼを併発し、惨憺たる私生活を強いられていたことだろう。
式場隆三郎を蘇らせて、今の日本のこの有り様を見せてやりたい。
果たしてどんなコメントが出てくるだろう。
「生きる力は、眠る力から生れるのだ」と、実に先進的な信念のもと、安眠法の探求に余念がなかった彼のことだ。存外、我が意を得たりと満足気に頷くのではなかろうか。
いやいやそれとも、粗製濫造の弊がこんなところにまで廻ったかと、目を覆って嘆息するか。
好奇心を掻き立てられずにはいられない。興味深い想像だった。
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