穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

ロシア人の侮日感情 ―「日本人を皆殺しにせよ」―

 

 開戦前の当地に於ける侮日感情の激しさときたら、そりゃもう箸にも棒にもかからない、度を逸しきったものだった。


 ロシア人たちは体格の有利を笠に着て「極東の猿」を嘲笑い、


「あのような矮躯から、どうして十分な気力体力が絞り出せるか」
「コサック騎兵の進むところ、日本軍は馬蹄の轟きを聞くだけで意気阻喪して、猛獅もうしの前の群羊の如くなるだろう」


 と、口々に楽観論を吹きまくる。


「我が兵一人で、日本兵十人に当たり得る」


 ドイツからの通信員、マックス・ベールマンに面と向かって、そう豪語してのける将校まで出現あらわれた。

 

 

Pymonenko U pohid 1902

 (Wikipediaより、コサック)

 


 どころではない。


 開戦間もない1904年3月のある日、満洲へ向かう旅路の途上、イルクーツクに立ち寄ったベールマンは、更に信じ難い光景を見た。


 当地きっての繁華を誇る、名の知れた大型レストランにて夕食を喫していた際である。


 有名店なだけあって、館内には既に二百名以上の将校連が詰めかけており、前途に控える戦に向けて英気を養う目的で、盛んに飲食を為しつつあった。


(これは面白い場に居合わせた)


 ひょっとすると、思わぬ特ダネが降って来るかも――そう期待したベールマン。


 態とゆっくり咀嚼して、丹念に料理を味わっている風を装い、その実全身を耳にして、軍人どもの会話に聴き入る。


 果たして、期待のものは訪れた。一人の歩兵大尉シャンパン片手に突然起立し、愛国の至情ほとばしる演説に長広舌をふるったあと、


「かくなる上は」


 末尾に付け足した台詞こそが凄まじい。


「我が部下の中隊には敵を捕虜とすることは決して許さぬ」


 大声で言ってのけたのである。


 明らかな鏖殺宣言だった。


 更にベールマンがぎょっとしたのは、この異常な事態を受けて周囲のロシア人たちが、まるで電流を通されでもしたかの如く一斉に椅子から立ち上がり、万歳ウラーを叫び、


「残らず日本人を殺すべし、捕虜を許さず」


 感動も露わに唱和してのけたことである。

 

 

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(この連中、正気なのか)


 交戦中の指揮官が、極度の興奮に衝き動かされて叫ぶのならば構わない。


 戦場は学生の決闘場ではないのだ。弾丸雨飛、交撃怒号の修羅場にあっては如何に恐怖すべき忍酷なる命令だろうと、これを残虐とは責められぬ。


 だがしかし、前線から遥かに遠く、生命の安全が担保され、冷静足り得る環境が十二分に整っているこのような場所では話は別だ。


暴戻にもほどがある)


 ベールマンは眉をひそめた。連中、アジア人を人間と看做していないのではあるまいか。


 その疑惑はハルピン到着後、いよいよ深められることになる。

 


 参謀本部附陸軍大佐某氏は、ハルピンに於いて、予及び某々露国通信員の目前にて、俘虜に対しては何らの憐情なしと公言した事があった。予は一層驚き怪しむだ。或る人は、斯かる事例をば恐らく酔余の語と為すであらう。然し露国新聞が日本人を人道に背反すと盛んに非難しつつ、露人自身斯かる有様であるのを見ては、之れを酔余の語とのみ黙認する事は出来ぬのである。(『戦記名著集 十一』503~504頁)

 


 要するに、ロシア人の想念に於ける日本人とは雑草か、いいとこ害虫に過ぎなかった。


 速やかに駆除して終わりだろう。そして我らはまた一段と領土を拡げ、栄光の階段を駈け上がる――。


 ところが、いざ蓋を開けてみればどうであろうか。害虫どころか、日本軍こそ猛虎の群も同然だった。


 彼らは戦えば必ず勝利し、破竹の勢いで満洲の曠野を攻め上る。ロシア人の衝撃は甚大だった。天地が覆るのを目の当たりにした、といっても言い過ぎにはあたるまい。かつて侮ったぶんだけ、彼らは日本軍を恐怖せねばならなくなった。


 それを象徴する椿事が、7月末のイルクーツクにて突発している。

 

 

Irkutsk-Passagirsky

Wikipediaより、イルクーツク旅客駅) 

 

 

 日本軍が遼陽へと集結しつつあるこの時分、ベールマンはハルピンを離れてこの地に在り、たまたま一部始終を目撃した。


 なんでもその日、「ソブラニー」なる倶楽部では盛んに賭け事が行われ、歓喜と失意が交錯し、ルーブル紙幣がめまぐるしく乱舞していたそうである。


 イルクーツクではごくありふれた光景といって差し支えない。


 常軌を逸しだしたのは、にわかに駈け込んで来た憲兵隊長の一言に因る。異様に引き攣った形相で、彼はこう喚いたのだ。


「日本人が攻めて来た」


 と――。

 


 憲兵隊長殿の親しく語る所に依れば、隊長はチタとイルクーツクとの間に於ける八ヶ所の地から公報を得た。其れから昨夜鉄道停車場と鉄橋との上に空中高く一二の軽気球飛行し、互に燈火の信号を交換し、且つ強力なる探照燈を放射して下界を測量するのを実見したとの報告に接したといふ。(478頁)

 

 

Prokudin-Gorskii-25

 (Wikipediaより、シベリア鉄道、カマ川を越える鉄橋)

 


 倶楽部はたちまち、灰神楽の立つような騒擾ぶりに見舞われた。


 混乱はあっという間に波及する。驚くべき素早さで、間もなく街中がこの一件を知るに至る。


 こうなってはもう駄目だ。噂が噂を呼んで、誰にも収拾がつけられなくなる。案の定、


「日本軍は気球に大砲を積んで空からの攻撃を敢行し、全市を破壊し鉄道を爆破する計画だ」


 噴飯ものの流言が、まことしやかに囁かれるという展開に。


 ベールマン以下記者連は、大別して四つの理由を提出し、これがまったくの戯言であると証明せんと試みた。

 


一、日本人はイルクーツクには何等の欲するところがない。
二、東京の参謀本部はロシアの参謀本部よりも詳密なる満洲及び東部シベリア地図を有するが故に、いまさら夜陰に乗じて測量製図を為す必要がない。
三、学者の説に依れば現今の軽気球を以ってして気球上から砲撃を行う事は全然不可能である。
四、現今未だそのような飛行自在の軽気球はない。

 


 常識的かつ精確な分析といっていい。


 が、むなしかった。過熱しきったロシア人の脳髄は記者や政府が鎮静策を施すほど、却って疑いを強める方に突っ走り、恐怖のあまり荷物をまとめ家族を連れて、西へ西へと疎開する者まで出はじめた。

 


 要するに目下軍事探偵の捜索は最も厳格を極め、日本人の勝利は人々の神経を悩殺する原因となったのである。曾て開戦の初めには人々は頗る日本人を軽蔑したが、今や日本人は何事も為し得ざる事なき者と思考され土中にも空中にも水中にも日本人が潜伏する如く考へられて、彼等を恐怖する状況はさながらモウエルホフ氏のガスパロン(筆者註、モーリス・ラヴェルの『ガスパール』か)と称する歌中にある如く天下到る所に日本人の伏在する地無きが如く思惟されて居る。(481頁)

 

 

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(東鶏冠山砲台跡)

 


 日露戦争の意義は、まことに重大と言わねばならない。


 それはまさに、世界史的な変革だった。人間たるを証明し、未来を切り拓いた一戦だった。この点、どんなに強調してもし過ぎるということはないだろう。

 

 

 

 

 


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