その青年を、相馬御風はよく知っていた。
糸魚川はその北側を海に面し、南には山また山の重畳する、海岸に沿って東西に細長い町である。平地など猫の額ほどしかなく、おまけに風の荒さは折り紙つきで、昔から大火の絶えない土地だ。
青年は、そんな糸魚川の蓮台寺地区と云う、相馬御風の住居より若干山際に近いところに棲んでいた。
相馬がその著書『雑草の如く』に於いて「F」と呼称するこの彼は、二十代の若々しい精気を凝り固めたかのような人柄で、常に明るく、自信と情熱に満ちており、特に農事の改良に対して積極的な取り組みに努める、所謂「地方青年」の模範たるに相応しい男ぶりだったそうである。
頭の出来もしっかりしている、そんな彼が、人心を集めないはずがない。事実Fは、蓮台寺地区の若衆頭みたような地位におさまり――しかも殊更に自分から求めたわけでなく、自然に推戴されるような形で――、彼の指示のもと、地区の若い男という男どもが一糸乱れず動く仕組みがきちりと出来上がっていた。
社会奉仕に地域振興にと、Fは能く組織を統御し、多方面に役立てたという。
そんな彼が、大正十一年二月三日の、あの運命の日に齎された親不知方面除雪作業の人員募集のみに限って例外に措くはずもない。いつものように若い衆を駆り集め、自分が陣頭指揮を執り、公に尽くすべく出立した。
この地区の青年層の、ほとんど全部を率いていたという。
そして帰路、疲労困憊たる彼らを乗せた第65列車を例の大雪崩が直撃し、たった2名を残してその悉くが死亡した。
悲劇という表現さえも、この現実を前にしては生温い。Fの行動が燃えるが如き赤誠に基いていたのは明らかで、本来壮とすべきそのおこないが、よもやこんな結果を招くとは。働き盛りの壮丁をねこそぎ喪い、これからこの村はいったいどうなるというのだろう。――
誰も彼もが絶望のドン底に突き落とされて不安と悲しみに苦吟しつつも、しかしFを攻撃する声が上がらなかったのは、彼ら北陸びとの品位を証明するものといっていい。
毎年のように自然からむごたらしい仕打ちを受けていながら、しかし決してそれを怨まず、苛酷な環境にそれでも寄り添いうまく随順する道をこそ選び、結果としてよく
が、それでもたった一人だけ、Fの責任を深刻な問題として捉えずにはいられなかった者が居た。
他ならぬ、Fの父親その人である。
彼が例のプラットフォームで変わり果てた息子の姿と対面したとき、果たしてどのような態度で以って迎えたかは、その場に於いて遺体収容作業に従事していた相馬御風の記述をそのまま引用させてほしい。
頭から上がひどく圧し潰されてむごたらしく変形してゐた其の死骸が、いよいよ彼の面前に運び出された刹那、はね飛ばされたやうにその傍に駆け寄って、つくづく其の醜く変わり果てた息子の顔を見ながら、
「よう死んで来てくれた。お前が生き残ったりなんかした日にゃ、俺は村の人達に顔向けがならんがだった。ほんとによく死んで来てくれた」
かう叫んだ時の、彼のあの亢奮した様子を、私は今なほ一層あきらかに憶ひ浮かべることが出来る。(『雑草が如く』、361頁)
なんということであろう。
本来子供にとって、「親に先立つ」以上の不孝はないはずだのに、この倒錯はどうしたことか。責任感と呼ぶにしてはあまりに、あまりに熾烈に過ぎる。
第一、そんな単純な
あまりに数多い、あまりにむごたらしい死体を見つづけて来た為に、いつとはなしに神経が麻痺しかけて居た私達は、その瞬間、突如として再び人間らしい心に引き戻されて、居合はせた者は皆泣かずにはゐられなかった。(同上)
相馬の反応もむべなるかな。
このときこの場所にあっては、誰であろうとただ泣く以外にどうしようもないであろう。
当時の日本人に、「塞翁が馬」の古諺が受け入れられないわけである。
この諺のもととなった物語、その後半では、馬から落ちて足の骨を折ったおかげで老人の息子は徴兵をまぬがれ、同じ村の若者たちが悉く兵士となって戦死したにも拘らず、彼のみは生き永らえることが出来、めでたしめでたしと終わるわけだが、当時出版された書籍をめくってみると、
――冗談じゃない、少しもめでたくなんかあるもんか。
例外なく、そのような論旨で一致している。
当時の日本人にとってはこの場合、村の朋輩達と共に枕を並べて死ぬることこそ男道に適った在り方に他ならず、そう出来なかったことを悔いるどころかよかったよかったと胸を撫で下ろすような親子の精神性に対しては、嘔吐を催さずにはいられぬほどの軽蔑の念が湧くらしい。
現代と引き比べて鑑みるに、ほとんど別人種の感があろう。同じ民族が、たった一世紀を挟んだだけでこうも変貌を遂げるものか。
まあ、それはいい。
Fの死後、彼の日記が発見された。ほぼ一日も欠かさずつけられており、Fの真面目な性格をよく反映したものである。
一月二十九日
雪降る西風強し、小生等三人にて屋根の雪おろしをす。
一月三十日
雪降る西風甚だし、小生等停車場の除雪に行く、実に驚くべし汽車の立往生で何共お話にならず、大風吹く。
一月三十一日
前夜は小生等の仲間五人夜番に居残りて夜中警戒につくす、実に大風にて致し方なし、前夜より汽車立往生、新町寺町間に機関車六台立往生せり、それを出すに十二時迄もかかれり。
二月一日
珍しき晴天となる、午後小生等又停車場へ除雪に行く、十三人なり、夜据風呂立つ。
二月二日
二日続きの晴天なり、同様の作業に従事せり、小生等の組は十七人なり。
彼が如何に郷里の為に、身を粉にして奮闘したかが否が応でも伝わってくる。父にとっては、きっと自慢の息子だったに違いない。
こんな親子もいたのだと、こんな人情もあったのだと、本日六月十六日、この「父の日」の拭うが如き青天に、しみじみ感じ入らずにはいられなかった。

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