穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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続・植民地時代のジャワの習俗 ―道路・散髪・美容術―

 

 お国柄というものは、植民政策の上に於いても如実に反映されるらしい。


 たとえばオランダ人は道路を愛する。


 左様、その重視の度合いは最早偏愛としか看做しようのないものであり、このためたとえば和田民治が根を下ろしたジャワ島などは、網目の如く車道が四通八達し、ほとんど汽車を圧倒する勢だったという。


 主要幹線は悉くアスファルトで舗装され、道幅も至って広々として、極めて近代的なつくりであった。この豪華さは、当時のインドネシアの活発な産油事情と無関係では有り得ない。原料ならば、いくらでも手に入ったというわけだ。

 

 

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 街路樹としては、ネムノキが専ら活用された。この落葉高木が大きく腕を広げたその下を、エンジン音も高らかに、車で走り抜けでもすれば、たちどころに「夢の国をドライブするやうな」いい気分に浸れたそうだ。


 彼らはまったく道路に金をかけることを惜しまなかった。


 開墾に於いてもそうである。オランダ人は何より先に自動車の通れる立派な道路を一本敷かねば我慢がならない。次いで事務所を造り住宅を建て、それから漸く伐採ないし植付作業に取り掛かる。


 兎にも角にも現地に入り、粗末な開墾小屋を建て、収穫を得ながら徐々に設備の拡充を図る、日本人の常識からはおよそ真逆の段取りだった。

 


 そのために、工事の予算が狂ふと、すばらしい自動車街道と立派な住宅、事務所だけは出来上がったが、何も植ゑないうちに金がなくなって、どうにもならなくなってしまったといふ話さへある。(『蘭印生活二十年』41頁)

 

 

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(ニャミル椰子園の住宅)

 


 さて、オランダ人が敷き詰めた道。


 これを整備し、遺憾なく交通の便を保ち続ける役割は、地元ジャワ人の責務であった。


 毎週金曜、各戸最低一人ずつの人員を出し、朝六時から九時までの三時間を費やして、道路の清掃・修繕作業に当たらせる。和田民治の記述によれば、「ジモアアン」と呼称されるこの労働は、対価なしの奉仕活動に他ならなかった。

 


 このジモアアン制は、かなり昔から行はれたものらしい。山間僻地の農村にいたるまで、道路は、このやうに保護されてゐる。況んや政府が直轄する国道、県道は推して知るべきである。(39頁)

 


 驚嘆すべき人件費の安さであろう。


 まあ、それはいい。


 斯様にありがたき道のお蔭で、ジャワ島に於ける和田民治の活動範囲はすこぶる広く、ほとんど隅々にまで文字通り足跡を残すことが可能であった。


 異様なものも、掃いて捨てるほどに見た。


 たとえば散髪のやり方である。雇用主たるオランダ人の機嫌ひとつですぐ給料をカットされるジャワ人たちに、態々理髪店を使う余裕などあるわけがない。大抵は家の玄関口で、家族同士で済ませてしまう。


 が、その際に用いるカミソリこそが異様であった。


 割れたビール瓶なのである。

 

 

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 洗濯石鹸をシェービングクリーム代わりに塗りたくり、不揃いな刃先でゴリゴリやる。相当痛いのだろう、剃られている側はその間じゅう顔をしかめっぱなしであった。


 で、刃の切れ味が鈍ってくると、そこらの石に景気よくカチンと叩きつけ、新たな割れ目を拵える。和田が聴取したところによると、ビール瓶が一本あれば「大概、五つの頭は剃れる」ということだった。


 前回触れた出産・育児の情景といい、ジャワ人というのはまるで苦痛塗れになるために地上に生まれて来たかのような観がある。


 その中でも特上は、「パンゴール」と呼ばれる美容術であったろう。

 

 歯の手入れの一種であった。


 歯並びの良し悪しは見栄えの良否を占う上で、最も重要な課題の一つだ。それを矯正するために大金を投じて惜しまないのは、現代日本社会でもなんら不思議な現象ではない。


 だからやはりこの場合でも、問題となるのはそのやりくち・・・・だ。オランダ領東インド時代のジャワ人は、あまりにも乱暴な手段で以ってその目的を遂げようとする。


 具体的には、鑢で歯を削り取るのだ。

 


 トツカンパンゴールといふ専門の職人が村々を廻って来ると、五六十セント払って手術を受ける。が、これが実に凄い荒療治で、釘抜みたいなもので門歯をバキバキと缺き取り、その上を鑢でガリガリ削って歯先をそろへる。
 見てゐても痛さうだが、美人になりたい一念はおそろしい。涙をボロボロこぼしながら、がまんしてゐる。(11頁)

 

 

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(ジャワの踊り子)

 


 激痛のあまり神経性ショックを引き起こし、ついにはそれが脳貧血を誘発して卒倒する事例とて珍しくはなかったらしい。


「なまやさしい美顔術ではないのである」と、和田民治は慄きも露わに書き綴らずにはいられなかった。そんな歯では、たとえ見目麗しくとも耐久性が犠牲になるに相違なく、従って日常生活を営む上でも不便だろうに。


 美に憧れる心の前には、理屈など塵紙よろしく押し拉がれるということか。なんともはや。

 

 

   

 

 


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