「北海道では馬乗りでなければ選挙に勝てない。内山吉太が屡々勝利を博し得たのも、馬術に長じていたのが第一だ」
北海道の特殊性を表現するに、楚人冠はこのような論法を以ってした。
彼の地は広い。東北六県に新潟県を併せてもなお
だから馬の出番となるのだ。
悪路突破の性能に於いて、この四足獣の右に出るモノはまずいない。少なくとも楚人冠が稿を起した、大正三年の時点に於いてはそうだった。巧みな手綱さばきによって北の大地を縦横無尽に駆け巡り、有権者との接触を繁くした者が結局は勝つ――。
八幡平で落馬して、腕の骨をポッキリ折った楚人冠が書いたと思うと、また格別な面白味が湧き出そう。
(楚人冠の落馬地点に建った句碑)
とまれかくまれ、北海道はそういう土地だ。
明治十四年、天皇陛下が小樽・札幌・室蘭と、各地を御巡幸なさった際も、道中毒虫・荊棘・野獣のために大層ご艱難あらせられたそうである。
北海道の開拓に、皇族の寄与するところは存外大きい。昭和三年、厳冬期の二月を選んで秩父宮が行啓なされた際などは、道庁役員その効果について謹話するに、
「冬の北海道は全く人間の住むところでないものゝ如く思はれてゐた内地人に非常な刺戟を与へ、また北海道における冬の味はひを十分宣伝されたことである」
実に偉大と、感激も露わに述べている。(昭和三年、旭川新聞社発行『北海道論』)
またこの訪問の感想として、秩父宮が札幌鉄道局長を相手に、
「北海道は将来世界的ウインタースポーツの土地とするやうに、鉄道省等も、スイスのやうに、スポーツマンのため鉄道ホテルを建設し、内外人を北海道に集めてはどうか」
と御指摘なされた一件は、十年後、二十年後を洞察し抜いたものとして、蓋し卓見であったろう。
昭和十五年札幌オリンピックの中止を最も残念に思われたのは、もしかするとこの宮様であったかもしれない。
本格的な冬の訪れを前にして、とりとめもなく、そんなことを考えた。
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