穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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太平洋上の遭遇 ―「しにかまんでゆく」漢たち―


 千葉県銚子の港から、東に1700マイル。


 太平洋のど真ん中で、二隻は出逢った。


 方や日本の木造漁船、方やアメリカの石油タンカー。四十トン級がせいぜいな前者に対し、後者は圧巻の一万六千トン級だから、目方の隔絶ぶりたるや、大人と子供以上のものがあったろう。

 

 

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 ――難破船か。


 と、アメリカ人らが思い込んだのも無理はない。


 無線でいくら呼びかけようと前方に浮ぶ「笹船」はうんともすんとも言わないし、第一船体のみすぼらしさときたらどうだろう。アラスカ辺の漁夫でさえ、あんなものには乗りたがるまい。ましてや遠洋漁業を試みるなど沙汰の限りだ。


 ところが彼らは室戸岬の漁師どもの肝っ玉に無知だった。

 


 室戸では、遠洋漁船が出て行くのを見ると、
「ああ、また後家船が出るな」
 といふほどだ。この船が再び港にもどる時には、何人かの後家が出るといふ意味である。しかし、海で生れた者が海で死ぬるのは本望だと、おかみさん達はいちいち見送りもしない。(中略)「しにかまんでゆく」死んでもかまはんで行くといふ土佐の方言は、このために出来たやうな言葉である。そんなふうだから、家系が絶えるのを恐れて、親子、兄弟は同じ船には決して乗らない。(昭和十八年、岡部龍著『日本産業風土記』101~102頁)

 

 

Cape-Muroto-20100526

 (Wikipediaより、室戸岬

 


 長曾我部侍、一領具足の剽悍さを継承したとしか思えぬ凄まじさであったろう。


 この日、太平洋上に浮んでいたのも、そうした「後家船」の一隻である。


 彼らは延縄漁法によって鮪を釣るべく、漸く仕掛けを設置し終えたばかりであった。


 そんなことはつゆ知らず、タンカー船の乗組員はシーマンシップを大いに発揮、漂流者の救助作業に取り掛かる。カッターボートを引っ張り出して、チームを編成、猛烈な勢いで漕ぎ寄せたのだ。


 慌てたのは救助対象の日本人だ。カッターボートの進路の先に、彼らの仕掛けた延縄がある。このまま通過を見送れば、最悪漁具が損傷せぬとも限らない。


「来るな、来るな」


 ある者は声を張り上げて、またある者は上着を脱いで振り回し。


 必死も必死の形相で意志の伝達に努めたものの、これが見事に逆効果。差し迫った彼らの顔を、アメリカ人らは長く待ち望んだ救助を前に、感情を爆発させたものと受け取った。


 オールを漕ぐ手にますます力が籠ったのは言うまでもない。


 幸い延縄は無事だったものの、誤解がとけるまでの間、漁師たちは生きた心地がしなかったろう。

 

 

Kutter, Rettungsinsel

 (Wikipediaより、カッターボート)

 


 事態を正確に把握したアメリカ人の驚きたるや、尋常一様のものでない。


 型落ちの発動機エンジンに、最初からない無線機具。こんな装備で沖合遥か彼方まで魚を求めに向かうなど、文明国の感性からしてみれば、銃を突きつけられても御免であった。


 にも拘らず、彼らは好き好んで自発的に来たという。


(なんという勇敢さだ)


 海に生きる者として、好意を超えた畏敬の念を抱かずにはいられなかった。


 この奇妙な遭遇劇は、終わりもそれに相応しく、物々交換で幕を閉じる。


 タンカーからは水・缶詰を。


 漁船の方では釣り上げた獲物、具体的にはビンチョウマグロとメカジキを。


 それぞれ出し合い、互いの任務に戻っていった。

 

 

Thunnus alalunga

 (Wikipediaより、ビンチョウマグロ)

 


 石油タンカーの目的地は、奇しくも日本、横浜港に他ならなかった。


 陸に上がった乗組員らは方々で室戸漁師のたくましさを物語り、それがやがてジャパン・クロニクル紙の知るところとなり、紙面を彩るまで至る。


 大正から昭和に世が移るころ、日米間の緊張がさほどでもない、そんな時代のことだった。

 

 

 

 

 


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