穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

北門の鎖鑰をして皇威を北彊に宣揚せよ ―第二期北海道拓殖計画―

 

 福島県の復興に、政府が意欲を示したそうだ。


 第一原発周辺の十二市町村へ移住する者に対しては、最大二百万円の支援金を与えるということである。


 更に移住後五年以内に起業するなら、必要経費の四分の三――最大四百万円まで――を、向うが持って・・・くれるとか。


 一連の報せを受けたとき、記憶の一部がしとどに疼いた。


 よく似た話を知っている。


 なんだったか、そうだ、昭和二年から始まった、第二期北海道拓殖計画だ。

 

 

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(北海道の景色)


 大日本帝国が北海道の開拓に着手したのはよほど早く、五稜郭を攻め落としてから三日後の、明治元年五月二十一日にはもう、

 


蝦夷地の儀は皇国北門直に山丹満洲に接し、経済粗定といへども北部に至りては中外雑居致し候処是迄官吏の土人を使役する甚だ苛酷を極め、外国人は頗る愛恤を施候より土人往々我邦人を怨離し彼を尊信するに至る、一旦苦を救ふを名とし土人を煽動する者有之これあるときは其禍忽ち箱館松前へ延久するは必然にて禍を未然に防ぐは方今の要務に候箱館平定の上は速に開拓教導等の方法を施設し人民繁栄の域となさしめらるべき儀に付利害得失各意見無忌憚きたんなく可申出もうしいずべく候事

 


 明治天皇の名に於いて、斯様な御下問渙発し、大目的を明白にしている。


 名目上は国土といえど、実際勢力薄弱で、ともすれば外国人が原住民を煽動し、独立運動でも起こしかねない北海道を、名実ともに日本の一部となさしむるべく、人を送り事業を起こし、以って「北門の鎖鑰さやくをして皇威を北彊ほっきょうに宣揚」する方策を打ち樹てよ、と。


 当時の要路の危機意識を窺う上でも、これは興味深い史料であろう。


 以来、近代日本の勢力は駸々乎として北の大地に染み入り続け、大正七年には開拓長官俵孫一その人をして、

 


開拓使置かれてここに五十年、爾来、駸々としてやむなき時運に伴ひ、諸般の事業著しく進展し、今や人口二百八万、生産三億二千万円……」

 


 このような演説を為さしめている。

 

 

Magoichi tawara

 (Wikipediaより、俵孫一)

 


 が、中央政府からすれば、まだまだ満足には程遠い。道半ばもいいとこだろう。北海道の秘める力は、こんなものではないはずだ。


 農地一つを取ってもそうだ。以前の調査を参照すれば、農耕適地の総算は、ざっと百五十八万町歩。


 然るに既墾領域は、ほぼ半分の七十八万四千町歩にしか過ぎぬ。


 そのうち十四万六千六百二十七町歩が水田で、残る六十三万七千六百四十一町歩が畑であったが、まあそれはいい。


 重要なのは、差し引き七十九万六千町歩もの農耕適地が、誰にも鍬を入れられぬまま、空しく放置されているという事実であった。


 当然、捨て置けぬという騒ぎに至る。


 北海道の人口を倍以上の六百万人に拡大し、百五十八万町歩の完全開発を目指すというのは衆の一致したところであった。

 

 

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美瑛町の広大な畑)

 


 割れたのは、それを何年がかりで、どの程度の予算を割いて果たすか、だ。

 

 憲政会が二十ヶ年・十二億円案を提出すると、政友会は十五ヶ年・十二億円案を負けじと主張。五年短いだけ、政友会案の方が一年ごとの予算規模は大きいと言える。


 ところがここに不幸があった。


 ときの内閣の顔触れに、浜口雄幸が交じっていたことである。


 この筋金入りの緊縮信者の手にかかっては堪らない。期間を二十年の長期とするのは勿論のこと、予算の方も値切りに値切られ、最終的に九億六千三百三十七万八千八百二十八円での決着を見た。


 それでも相当な額ではある。


 さて、この予算を当局は、どんな具合に活かしたか。東京日日新聞より昭和五年に発行された、『経済風土記 北海道信越の巻』がそのあたりの消息を、実に詳しく教えてくれる。

 


 現在、北海道では、移住者の保護奨励には至れり尽せりの手段をとってゐる。
 北海道の状況の紹介、移民手続の案内はもとより、全国枢要地には移住案内所を常設するやら各府県庁に嘱託勧誘員を置くやらする外、宣伝は、博覧会、共進会、講演会、パンフレット、活動写真そのほか、少しの機会さへも見逃さない。いはゆる、うまいことづくめを避けて、実際を見せ、納得して食指をうごかさせて移住させる方針だ。(25~26頁)

 

 

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 してみると以前「北門小話」にて触れた、秩父宮の厳冬期北海道行啓も、第二期北海道拓殖計画を成功裡に導くための、こうした試みの一環だったのではないか。

 
 更に言うなら、件の記事を書く上で用いた『北海道論』にしてからが、ここで言う「パンフレット」そのもののようにも思えてくる。


 それで本書の価値が増減するでもないのだが、背景を探ってあれこれ思いを馳せるというのは、自ずから別個の面白味があるものだ。

 

 

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(北海道の雪景色)

 


『経済風土記』からの引用、更に続ける。

 


 拓計による、いはゆる国庫の補助をうける補助移民は、予定戸数五萬戸、特定地十萬余町歩に配置されることになってゐる。従って、一戸あたり、田畑二町歩当りの自作農となるわけで、この外に山林放牧地などを借りることが出来る。そして、十年間無償で借受けて開墾すれば、その後は完全に自分のものになるといふ寸法だ。
 この補助移民は、住宅費、一戸平均五十円の補助を受け、農具、種苗、などの補給額一戸当り三百円となってゐる。五万戸で、この費用の予算だけでも三千五百萬円だ。
 なほ、開墾費や、造田費として四割補給、民有未開発地開発に低利資金を貸付け、牛馬を購入する場合には半額、造林に四割、甜菜耕作者には奨励金……かう、フンダンに金をくれてやるといふのだから、誰でも一つ北海道へ行ってみようかなと思ふだらう。(26頁)

 


 まさに此処こそ、今回の福島にまつわるニュースで思い出した箇所だった。


 鳴り物入りでスタートした第二期北海道拓殖計画だが、その結末は芳しいとはとても言えない。

 

 開始直後に世界恐慌の襲撃を受け、思い切り出鼻をくじかれたのみならず、相次ぐ凶作、満州事変に支那事変、果ては大東亜戦争の勃発と、とにかく意想外のことが立て続けに起き、ろくろく実を結ばないまま予定の二十年を過ぎてしまった。


 現在の北海道の人口は五百二十八万人、農業面積は百十四万六千ヘクタール――大雑把な換算で百十五万五千五百五十町歩ということだ。

 

 

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 詩がある。


 札幌の人、桜井誠一郎石狩川に小舟を浮かべ、冒険的な調査旅行に出掛けた際につくった詩だ。


 ついでながら、付け加えておく。

 


蕩舟漫登石狩川とうしゅうそぞろにのぼるいしかりがわ
柳岸鶯聲促睡眠りゅうがんおうせいすいみんをうながす
借問行程当別しゃもんこうていべつじにあたる
夕陽到処有人煙せきやういたるところにじんえんあり

 

 

 当時、一帯の光景は「鶯或は見馴れぬ衆鳥細やかにさえづるあり、或は両岸の柳枝乱れて雲の乱れるに似たり」と、まったく仙境に遊ぶの心地がしたという。

 

 

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