穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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英雄的独裁者 ―特派員の見たトルコ―

 

 1927年10月28日、トルコは死の如き静寂に包まれた。


 政府がその威権を発動させて、全国一斉に外出禁止をいたのだ。


 目的は、戸口調査こそにある。


 オスマントルコ時代に行われていたような不徹底さを全然廃し、今度こそ完全に己が姿を直視せんと、当局者たちはよほどの覚悟で臨んだらしい。そのことは、医者や消防隊といった急を要する職種の者まで例外とせず、所帯表の取り纏めが終わるまで、断固として戸外に出るを禁じたという一事からでもよくわかる。


 よほど強力な中央集権が前提になくば、とてもやれない措置だろう。


 幸いこの時期のトルコにはムスタファ・ケマル・パシャという英雄的独裁者が君臨しており、この試みは成功裡に終始した。

 

 

Atatürk Kemal

 (Wikipediaより、ムスタファ・ケマル

 


 弾き出されたトルコの人口、千三百六十六万二百七十五名なり。


 そのうち農業に従事する者、九百十四万五千人に上るというから、当時のトルコは凄まじいまでの農業国といっていい。比率に直せば、全人口の六割七分が「農」に携わっていた計算だ。


「その重大な農業が」


 極めて粗雑な方法で処理されているのだから気の毒千万なものである、と。


 大阪朝日新聞特派員、高橋増太郎は肩をすくめて報告したものだった。


 1931年、彼が著した『国富増進と産業の発展』によるならば、「農作物の生育する土地に種子を蒔き一年中五、十月に降る降雨によって収穫を待つのみで、雑草を刈ることもなく灌漑工事を施すには余りに資力がなく採算がとれない。自然を征服するための方法は一切講じてなく、また及びもつかないことだから、雨量の少ない年は一溜りもなく不作に泣き、牛を売り羊を手放して生活する外はない」というのが所謂「トルコ式農法」の赤裸々な姿であったのだ。


 高橋はその責任を、「その昔スルタンが豪奢を極め国民から膏血を絞り取るのみで農奴の進むべき途を教へなかったのみならず、農業施設の発達を顧みなかったこと」、すなわち前時代の支配階級の怠慢ぶりに見出している。


 で、あるならば。オスマントルコの死灰から不死鳥の如く若々しいトルコ共和国を誕生せしめたケマル・パシャが、これを見逃す筈もなく。


 改革の波を及ぼさんと、随分骨を折っていた。


 その一環として、ガジ農園の名は永遠に記憶されていい。

 

 

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(ガジ農園遠景)

 


 首都アンカラの郊外に存在していたケマル自身の所有地で、その面積は4000ヘクタールもの広大さに及んだという。


 和田民治がジャワ島に築いた農園――ニャミル椰子園の、ほとんど二倍の規模に当たるのだから大したものだ。


 ケマルはここの経営のため元アンカラ農学校長ターシン・ベイを引っ張ってきて、年々巨額の資金を投じ、アメリカ式のドライ・ファーミング・システムによる麦や果樹の栽培実験に取り組ませていた。


 ばかりではない。


 毎週休日にはアンカラから農園まで直通の特別列車を運行せしめ、都人を大いに迎え入れ、彼らの心を飽きさせないよう動物園や遊園地まで造ったあたり、ケマルという人物は宣伝の妙を本当によく心得ていた。


 山本五十六が言ったところの、


「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」


 を、これ以上なく体現したものだろう。


 見学に訪れた高橋もその手の込みように驚くを通り越して唖然とし、


「パシャの道楽にしては誠に思ひ付きなよい道楽ではある」


 兜を脱いで褒め称えるより他になかった。

 

 

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アンカラ市街)

 


 建国当初のトルコの農地、ざっと六百万ヘクタール。


 ゆくゆくは、これを三千万ヘクタールまで拡げるのだと。


 勇壮無比なスローガンをぶちあげて、ケマルは多くの手を打った。


 灌漑工事や種子の配布、その他農業促進事業のために、1929年だけで五千五百万リラの予算を割いたし、また一方では三百万リラの資本金で農業銀行をアンカラに設立、支店を全国に展開もした。


 その結果はどうであったか。


 2011年の段階でトルコの農地は三千八百二十七万ヘクタールを記録しており、建国の父の見た夢を、十分以上に実現させた。

 

 

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トルコ共和国議事堂)

 


 ムスタファ・ケマル「最も有能な独裁者」として青史に不朽の名を留めている。


 おそらくは、地上にトルコの在る限り、彼の威光が曇ることはないだろう。

 

 

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