前の持ち主が意外な有名人だった。
昭和十四年発行、小泉信三著『学府と学風』のことである。
だいたい昭和十二年から十四年までの期間に於いて、小泉が行った講演・演説・祝辞の類を纏めた本書。その奥付に、以下の書き込みを発見したのだ。
昭和十四年十一月三十日・泰安
慶應義塾出征軍人慰安会ヨリ
八十島信之助
この八十島信之助という名前、調べてみれば確かに慶應義塾の出身で、昭和十三年医学部卒、陸軍軍医として大陸に渡り、ノモンハン事件等に従軍したとなっている。
復員後は法医学者の道を歩み、数多くの司法解剖に携わる。なにかと陰謀論のささやかれがちな下山事件の検視を行い、「他殺の疑いなし」と判断したのもこの八十島だ。
ノモンハン事件が戦われたのは昭和十四年五月から九月の間。
泰安は支那山東省西部に位置する街であり、支那事変を契機とし、昭和十二年十二月三十一日以降日本軍の占領するところとなっていたから、時間・位置的に不自然はない。
陣中生活の無聊を慰めるため、軍医時代の八十島が読んでいた本。そう判断するのが至当であろう。いわば戦火を潜ってきた一冊であり、そう考えるとこのボロボロ具合も納得がいく。むしろよく、この程度の損傷で済んだものだと。
八十島の
11月30日
即日読了
すなわちこれだ。
如何に本書が二百ページに満たない小著とはいえ、これは相当なスピードである。
よほど活字に飢えていたと捉えるべきか。ちなみに私は二日かかった。
べつに速読を志しているわけでもないし、こんなことで勝ち負けを競うのは甚だ愚だと分かっているが、それでも後れを取ったという気分が拭えぬ。己の未熟さを実感せずにはいられない。まだまだ精進が必要だ。
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