人間の智慧がいちばん輝かしく発動するのはひょっとして、言い訳を考えているときかも知れない。
涙を流し、情に訴え、もっともらしい理屈を捏ね上げ。
自分が如何に憐れむべきいきものかを分かってもらい、少しでも頽勢を挽回しようと。
平常時なら思いもよらぬ牽強付会、破廉恥極まる責任転嫁も平気の平左でこなしてのける。
古今東西、筆に会話に展開された、秀逸かつ個性的な言い訳を掻き集めたなら、さぞがし興味深い書籍が誕生することだろう。
その一頁に、ぜひともコレを加えて欲しい。明治の論客、讒謗律でぶち込まれた最初の男、自由民権派の巨魁、鉄腸末廣重恭が、明治八年「東京曙新聞」の論説欄に掲載した文章だ。
〇 社 告
昨日は観客も御存じの通りの烈風にて折角
(Wikipediaより、末廣鉄腸)
原稿は書いた。書いたがしかし、折からの烈風に吹き攫われて、今となっては大東京の何処を漂っているやら知れない。
書き直したいのは山々なれど到底印刷の間に合いそうになく、万止むを得ず、今日だけ論説を休ませていただく。
返す返すも残念だ。もし原稿を発見された場合には、なにとぞ本社にお返し下さるよう――。
言辞こそ美々しく組み上げられてはいるものの、大意を取ればなんてことない、中学生の宿題とさして変わらないだろう。「やったけど家に忘れました」とかいう、お決まりのアレだ。
むろんこの日鉄腸は、原稿を書き上げてなどいなかった。
不調というのは誰にでもある。人である限り、それは仕方のないことだ。
おまけにこの日、鉄腸は夕方四時からとある重要人物と顔を合わせる用があり、つまりはそれだけ締め切りが短く、その焦りも手伝って、思考はいたずらに空転し、ペン先は宙を彷徨うばかり。
(畜生、俺としたことが。……)
苛立ちが汗となって皮膚に滲んだ。
わかりやすく、窮地であろう。
極端な圧縮は熱を生じさせ爆発へと連鎖する。それとよく似た物理作用が、追い詰められた末廣鉄腸の脳内で急速に巻き起こりつつあった。
(――あっ)
果たして変化は劇的だった。
砂塵を舞い上げ出勤の邪魔をし、屋台骨を軋ませては集中力を掻き乱す、忌々しいとしか思っていなかった烈風が、急に天上の福音の如く甘やかに聴こえ出したのだ。
(そうだ、この手があるではないか)
(これでできた)
何度も使える手にあらずとも、明日の紙面を弥縫するには十分役に立つだろう。少なくとも、明治八年の鉄腸はそう確信して疑わなかった。
(小林清親 「大川岸一之橋遠景」)
一仕事終えた安堵の情が勢い肩を軽くして、お蔭でその後の会合も、至極円満に進んだという。
白紙の原稿用紙を机上に放置したままでは、到底望み得ない結果だったに違いない。
嘘も方便とは、こういう場合に使われるべき諺ではなかろうか。
なお、この「社告」をもう一度よく眺めると、読者を「観客」としているあたり、読み手も書き手も新聞というものの実態をまだまだ把握しきれていない、明治初頭の雰囲気が察せられて面白い。
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