穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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読売新聞命名奇譚 ―日就社の苦闘―

 

 日就社が東京芝の琴平町に拠点を移し、新聞事業に手を染めたのは、明治七年十一月二日付けのことだった。


 いわゆる読売新聞である。

 

 

Yomiuri Shimbun first issue

 (Wikipediaより、読売新聞創刊号)

 


 いま、私はさりげなく「読売」と書いたが、さてこそこの題字こそ、数多の事前準備の中で解決が最も遅れた課題。新進気鋭な日就社の面々をして、最後まで悩みに悩ませ続けた至難の極みに他ならなかった。


「いったいどんな銘を打つ」


 幾度協議を重ねたことか。


「『通俗新聞』はどうでしょう」


 そう発言する者も居た。


 堅っ苦しさをなるたけ排し、俗談平話を心がけるという趣旨を、そのまま反映しようというのだ。


「傍点を施す工夫こそ、在来の新聞と一線を画し、本紙を大いに特徴づけるものであります。そこからとって、『よみがな新聞』という案は」


 内容がより平易になれば、これまで新聞に縁遠かった女性や子供を顧客化することも可能であろう。そんな展望に基いて、「やはらぎ新聞」とか「をみな新聞」とかいった名の提言も相次いだ。

 

 

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 議論百出の光景であろう。


 が、どうもなにやら今一つ、肺腑に刺さるものがない。


 憶え易く単純で、そのくせ個性的であり、能く内容を象徴するもの。そんな都合のいい単語など、そうそう転がっているはずもなく。


 脳漿を雑巾よろしく絞っても一向に成果の挙がらぬ現状に、いつしか彼らも疲れ果て、斯くなる上はと外部の知識を入れようとした。漢学者の門扉を叩き、「佳き名はないか」と相談したのだ。


 その結果、「京華流影」なる四字を得られた。


 なるほど艶な並びではある。


 しかしこれを一目見て、即座に新聞の題字であると察し得る者が何人居るか。明らかに「平易」という本来の趣旨からズレている。結局、ボツの烙印を押された。


  が駄目ならだとばかりに、英語学者にコンタクトした者も居た。


 で、渡されたのが「東西南北」


 East、West、South、North。東西南北を表す四つの単語。その頭文字を取って並べ替えれば、どうだ、「NEWS」になるではないか。


 割合有名なこの俗説は、明治初頭のこの時分から既に行われていたものらしい。


 むろん、これもボツとした。

 

 

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 国学者の意見を徴しに向かう日就社員の胸中は、ほとんどヤケッパチのそれに近しい。


「あきつすのはゆまぶみ」


 一声聴いたその瞬間から、ああ、こりゃまたボツに違いないと自ずから悟るところがあった。


 案に違わず、その通りの運びとなった。


 江戸時代から続く瓦版。わが国新聞の祖先と呼ぶべきそれ・・の販促方法に、「読売」というものがある。


 書かれた内容を読み上げる、それもただ淡々と述べるのではなく節をつけたり言回しを凝らしたりして、より興味を惹き付ける。


 ボツに次ぐボツを経た果てに、漸く彼らはこの「読売」を掘り当てた。

 

 

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Wikipediaより、瓦版を売る読売の姿)

 


 驚嘆すべき妥協の拒みようである。


 こだわり抜いた甲斐はあったといっていい。「読売」の名は、百年の使用に耐えて充分余りあるものだった。2020年現在では世界一の発行部数を誇る新聞としてギネスブックにも認定を受け、その栄光を日々新たにしている。

 

 

東方文花帖 ~SHOOT THE BULLET!
 

 

 

 


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